えぇっ?!京都・清水寺には「仏足石」という仏様の足跡が本当にあった!?

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えぇっ?!京都・清水寺には「仏足石」という仏様の足跡が本当にあった!?

えぇっ?!京都・清水寺には「仏足石」という仏様の足跡が本当にあった!?本堂の南側にある轟門をくぐり、回廊を抜けると、左手に何やら大きい足跡が型どられた石が出現します。

これが、仏足石と呼ばれるもので、この仏足石を拝むと、人々がそれまで犯してきた罪や、積み重ねられてきた穢れが、一切消えてしまうと言われています。

また、この足型をよく見ると、何か、神秘的な尊さを秘めているような、十一の模様が浮かび上がっているのがよくわかります。

そして、足腰が悪い人が、この仏足石をなでて、その手で自分の足腰をさすると、良くなるとも言われています。

現在は、平成の大改修の真っ只中であり、その影響もあって、この仏足石を拝むことができなくなっているのですが、この工事が一段落すれば、再びこの石を拝むこともできるようになるでしょう。

清水寺の仏足石の足跡の人物の正体って?

この仏足石の足跡の人物の正体についてですが、実は現代に至っても不明のままだそうです。

つまり、誰の足跡かは一切、不明であり、これについては、いくつもの説が伝承されており、主に以下↓のような説になります。

清水寺の仏足石の足跡の人物の正体【その1】「お釈迦さま」

清水寺の仏足石の足跡の人物の正体【その1】「お釈迦さま」一説には、お釈迦様が石の上から説法をされたあと、その足跡が石にクッきり残ったものだと考えられています。

清水寺の仏足石の足跡の人物の正体【その2】「藤原景清(平景清)」

清水寺の仏足石の足跡の人物の正体【その2】「藤原景清(平景清)」平安時代末期に、平氏に仕えて源氏と戦い、源平合戦最後の戦いである、壇ノ浦の戦いで敗れたあと捕らえられ、最後は絶食死したと伝えられている、「藤原景清(平景清)」の足跡ではないかとも言われているようです。

清水寺の仏足石の足跡の人物の正体【その3】「武蔵坊弁慶」

清水寺の仏足石の足跡の人物の正体【その3】「武蔵坊弁慶」また、この足跡ですが、別名「弁慶の足跡」とも呼ばれ、近くにある「鉄下駄」や「鉄錫杖」とともに、弁慶のものではないかとも言われているようです。

確かに武蔵坊弁慶と言えば、まるで巨人のような屈強な体をしており、ともすればこの足型が弁慶のものだったと言われても、納得できなくもないですね。

 

このように、この仏足石の足跡の持ち主の正体は、いまだ謎のままですが、これより後の世で正体が明かされたその時に以下のようなことを思い浮かべながら、この石を見てみるのも良いかもしれません。

  • 「お釈迦様がこの石の上に降臨して説法された時の様子」
  • 「平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての源平の様相」
  • 「弁慶・義経のエピソード」

などです。

えぇっ?!!清水寺には、まだ、仏足石があった!!!

えぇっ?!!清水寺には、まだ、仏足石があった!!!ちなみに、この京都・清水寺には他にも、昭和59年に、清水寺開創1200年を記念して建てられた大講堂にも、仏足石があります。

詳しくは、仏足石があるのは「大講堂・多宝閣」で、黒い大理石に刻まれた仏足石が、床面に祀られています。

終わりに・・

そう言えば、清水寺で売られているお守りの中に、「足腰守」と言うものがありますが、これも、そのご利益を秘めたものなのかもしれませんね。

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