京都・清水寺には、妖怪(鵺)がいて、今でも塚を守っている?!

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京都・清水寺には、妖怪(鵺)がいて、今でも塚を守っている?!

清水寺の境内の西側にある、「六花亭」と言うお茶屋さん。

みたらし団子やわらび餅、ところてんなどが評判で、とても人気が高いのですが、その右側に、かつて「毛朱一竹塚(もうしゅいちちくつか)」と言う塚がありました。

京都・清水寺には、妖怪(鵺)がいて、今でも塚を守っている?!別名「鵺(ぬえ)の塚」と呼ばれ、「源平盛衰記」や「閑田次筆」によれば、ここに「鵺の遺骸」が埋められていたらしいのです。

ところで・・「鵺」とは?

鵺と言うのは、日本に古来から伝承される妖怪のことです。

その姿には諸説あるものの、例えば以下↓の通りです。

  • 顔は猿
  • 胴体はタヌキ
  • 虎の手足を持つ
  • 尾っぽは蛇

・・など、おおよそ何種もの動物が合わさっている感じの、「複雑な事情を抱えた妖怪」と言った方がいいでしょう。

鵺と言うのは、日本に古来から伝承される妖怪のこと引用先:ja.wikipedia.org/

鵺と京都・清水寺との想像を絶する過去


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これは平安時代末期のお話です。

当時の天皇である二条天皇の住む御所は「清涼殿」という場所でした。

実は、この清涼殿は、毎晩、黒煙に包まれていて、その黒煙の中から不気味な鳴き声が周囲に響き渡っていたそうです。

その清涼殿で暮らす二条天皇は、この不気味で少しセクシぅぃ~な鳴き声に悩殺されてしまい、病気になって伏せってしまいました。

そこで天皇は、弓の達人だった源頼政に、この怪物退治を命じ、家来の猪早太とともに、怪物退治に二条城に出向きます。

そして、黒煙とともに現れた怪物を、先祖である源頼光より受け継いだ弓矢で頼政が射ると、悲鳴とともに二条城に鵺が落下し、猪早太がこれにとどめをさしたのです。

その後、先述のとおり、現在の六花亭付近にある場所に鵺は埋められたのですが、江戸時代に何者かがその「鵺の死体」を掘り起こし、「祟(たたり)」があったとされています。

今では何もなさそうな、平穏な感じのする六花亭付近ですが、かつてはこんな恐ろしいものが埋められていたなんて、考えるだけでもゾッとしますよね。

トドメを刺された鵺のその後

なお、猪早太にトドメを刺された鵺のその後については諸説あります。

  • タタリを恐れて鵺の遺骸を鴨川に流した。
  • 鵺の死霊が馬となり、源頼政に飼われていた。

などと、言われています。

京都・清水寺の鵺の正体と「鵺の言葉の例え」

また、愛媛県の「久万高原町(くまこうげん まち)」と言う町には、鵺の正体は、驚くことになんと!その鵺を射落とした「源頼政の母親である」とも伝えられています。

当時、愛媛県に隠れ住んでいたとされている源頼政の母親は、息子・頼政の武運と、衰退しかけた源氏の再興を願い、日々、龍神に祈祷していたそうです。

しかし、頼政への思いと平家への溢れ出る憎悪が、頼政の母の身体を鵺に変化させたのだと云われています。

正体そのものも謎で、トドメを刺された後のエピソードについても謎まみれの鵺。

今では、正体がつかめなかったり、ハッキリしない人のことを「鵺」と呼ぶこともあるそうですが、その起源は、そんなことが由来かもしれませんね。

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