京都・ 清水寺の本当の歴史を簡単に年表で解説!

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京都・ 清水寺の本当の歴史を簡単に年表で解説!

清水寺の起源:「延鎮」と「行叡」の出会い

奈良時代に、大和の国(奈良県)にある、「子島寺(こじまてら)」と言うお寺に「賢心」と言う、僧侶がいました。

大和の国(奈良県)にある、「子島寺(こじまてら)」と言うお寺に「賢心」と言う、僧侶が

↑賢心(延鎮)

子島寺で修行を重ねていた賢心は、ある日の夜、夢をみることになります。

その夢とは、京都の山奥にある「乙輪(現在の音羽)」と呼ばれた場所へ向かって歩いて行く夢です。

翌朝、目が覚めた賢心は、これは夢ではなく、仏の導きであると考え、夢で見た通り、現在の音羽山に向かう旅に出ました。

そして、乙輪(音羽)の山に入った賢心は、そこで、滝行して「千手観音」を念じ続ける、「行叡居士(ぎょうえいこじ)」という修行者に出会うことになります。

滝行して「千手観音」を念じ続ける、「行叡居士(ぎょうえいこじ)」という修行者

行叡

行叡は賢心と会うなりこう言います。

そなたがここに来るのを長年心待ちにしていた」

「私はこれから東の方へ旅立つ。あとをよろしく頼んだ

と、こう言って、1本の木(霊木)と、自分が住まいにしていた「庵」を残し、立ち去って行きました。

ここで、子島寺で見た夢のことを思い出した賢心は、行叡が「観音の化身」だと悟ります。

そして、行叡が残していった「霊木(れいぼく)」に、千手観音像を刻み、行叡が残した旧庵に安置したのです。

この「行叡の旧庵」が、清水寺の始まりと言われており、時に宝亀9年(778年)のことでした。


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賢心と坂上田村麻呂の出会いと清水寺

行叡が去ってから2年経ったある日、賢心はいつものように、音羽山で修行していたところ、のちに征夷大将軍となる「坂上田村麻呂」と出会います。

征夷大将軍となる「坂上田村麻呂」

田村麻呂は、妻の病気を治すために、鹿の生き血を求めて音羽山に入っていたのです。

鹿の生き血と聞いた賢心は、田村麻呂に対して、命の尊さと殺生の罪を説くと、なんと!田村麻呂は、その話を受け入れ、鹿狩りを即刻やめます。

そして田村麻呂は、説法を説いた賢心に関心を示し、なんと!観音に帰依し、さらに自分の家までもを賢心に捧げたのです。

賢心は、田村麻呂の決意という気持ちを汲み、田村麻呂の家を「観音像」を祀るための「本堂」としました。

その後、田村麻呂は、天皇から「蝦夷平定(現在の北海道の平定)」を命じられ、同時に「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」に任ぜられることとなります。

征夷大将軍となった田村麻呂は、2人の仏の化身の加護を受けます。

  • 「毘沙門天の化身」である「若武者」
  • 「地蔵菩薩の化身」である「老僧」

この2人の仏の化身の加勢を得た事もあり、田村麻呂は、見事戦いに勝利し、蝦夷を平定することに成功するのです。

そして無事、京の都へと戻った田村麻呂は、「賢心」とともに、自分の邸宅であった「本堂」の改築に着手します。

この改築の時、「賢心」は、観音像の脇侍として、田村麻呂に加勢した「毘沙門天」と「地蔵菩薩」を祀ったとされています。

そして同時に、この時、賢心も名前を改め「延鎮」と名乗ります。

これが清水寺の起源となった3人の物語となります。

このことから、清水寺では、上記の物語の3人を以下のように位置づけています。

  • 行叡を「元祖
  • 延鎮を「開山
  • 田村麻呂を「本願

清水寺の年表を用いた歴史の一覧

 年月日 内容(起こったこと)
798年 「紫宸殿(後の清水寺)」を「征夷大将軍・坂上田村麻呂」が創建
869年 京都の恒例「祇園祭」が開始される
1192年 鎌倉幕府が開かれる
1333年 鎌倉幕府滅亡
1338年 室町幕府が開かれる
1477年(文明9年)あたり(不明) 「馬駐(うまとどめ)」が完成。重要文化財。
1478年(文明10年) 「梵鐘」が完成。重要文化財。
1500年(明応9年) 子安塔(泰産寺)が完成。重要文化財。
1573年 室町幕府滅亡
1582年 本能寺の変
1600年 関ヶ原の戦
1607年(慶長12年) 「鐘楼」『重要文化財』
1629年(寛永6年) 仁王門(赤門)が完成。応仁の乱にて1度焼失。重要文化財。
1631年(寛永8年) 釈迦堂が完成。重要文化財。
1631年(寛永8年) 西門(さいもん)が完成。重要文化財。
1632年(寛永9年) 轟門(とどろきもん)が完成。重要文化財。
1632年(寛永9年) 北総門が完成。重要文化。
1632年(寛永9年) 三重塔が完成。重要文化財。
1632年(寛永9年) 阿弥陀堂が完成。重要文化財。
1633年(寛永10年) 清水寺・本堂が完成。国宝。

「清水の舞台」は江戸幕府三代目将軍・徳川家光により再建。

1633年(寛永10年) 開山堂(田村堂)が完成。重要文化財。本堂と同時に再建。
1633年(寛永10年) 経堂が完成。重要文化財。
1633年(寛永10年) 朝倉堂が完成。重要文化財。
1633年(寛永10年) 奥の院(奥の千手堂)が完成。重要文化財。
1972年(昭和47年) 集中豪雨によって「釈迦堂」倒壊
1975年(昭和50年) 釈迦堂が復元される。
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