京都🐉清水寺「経堂」【重要文化財】

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京都・清水寺「経堂」【重要文化財】

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創建年

  • 不明
再建年

  • 1633年(寛永10年)
  • 2000年(平成12年)
建築様式(造り)

  • 入母屋造
  • 背面庇付
  • 鏡天井
  • 一重
大きさ

  • 桁行五間(奥行:約16m)
  • 梁間四間(横幅:約11m)
屋根の造り

  • 本瓦葺
重要文化財指定年月日

  • 1966年(昭和41年)6月11日
御本尊

  • 釈迦三尊像
  • 脇侍:文殊菩薩
  • 脇侍:普賢菩薩
発願者(寄進者)

  • 徳川家光(江戸再建時)

清水寺・経堂の読み方

経堂は「きょうどう」と読みます。

経堂の別名

往時は京都・清水寺の「講堂(こうどう)」であったため「講堂」とも呼ばれてい申した。

「経堂」の名前の由来

仏教の一切経という経典を収めるための堂であることから、「経堂」とも呼ばれる。

清水寺・経堂の歴史

清水寺の経堂の創建年に関しては判然としないが、平安時代末期という説がある。

西門、三重塔の奥に位置する境内で最大級の堂であり、多くの学僧が参集して学問に励むための講堂(こうどう)として創建されたと伝えられる。

現在では、堂の大きさを活かし、清水寺で開催される仏画や工芸品の展示会などでも利用される。
平安時代以降、歴史から姿を消す

清水寺の経堂は平安時代以降、歴史から姿を消している。

‥‥というのも、室町時代(戦国時代中期)に描かれたとされる清水寺参詣曼荼羅には、隣地に建つ開山堂(田村堂)が描かれているにも関わらず、この経堂は描かれていない。

⬆️1548年(天文17年/室町時代)に完成した「清水寺参詣曼荼羅」に描かれる開山堂とその周辺の様子。経堂がない。

これは応仁の乱で焼失し、その後、曼荼羅が描かれた時代まで再建されなかったことを物語ってい‥‥‥申しまする。(逃げの新兵器)

現在の経堂は2000年(平成12年)に解体修理された後の姿となる。

ちなみに以前の堂は寛永10年(1633年/江戸初期)に本堂と同時に再建されたものであり、おおむね以前の古材を利用してそのまま以前の形に復元されてい‥‥‥申す。プクゥァっ

つまり、現在見られる堂の姿は江戸寛永期に再建された時の姿となる。

経堂は平成の大修理によって極彩色が施された!

1984年(昭和59年)〜1987年(昭和62年)に鐘楼の後ろ、経堂の手前に立つ、三重塔の解体修理が実施された折、一部の部材に極彩色が見つかり、江戸寛永期の再建後は境内の堂塔に彩色&丹塗りが施されていたことが明らかにされた。

この三重塔の工事がキッカケとなって境内の建造物群の調査が実施され、続く平成の大修理ではこの経堂を含め、以下の建造物群が江戸寛永期再建後の極彩色かつ、丹塗りを施した姿で復元される運びとなった。

【補足】平成の大修理によって江戸再建時の姿に戻された御堂一覧

  • 1994年(平成6年):西門
  • 1996年(平成8年):阿弥陀堂
  • 1999年(平成11年):鐘楼
  • 2000年(平成12年):経堂
  • 2003年(平成15年):仁王門
  • 2005年(平成17年):田村堂
  • 2013年(平成25年):子安塔
  • 2017年(平成29年):奥の院

この平成の大改修は総工期11年、総工費約40億円を要する一大プロジェクトだった。




経堂とは何をする建物?「経堂の役割とは?」

「経堂」とは、そもそも経典を納めるお堂であることから、俗に「経堂」と呼ばれます。

清水寺の経堂は、平安時代中頃に「一切経(大蔵経)」と呼称されるお釈迦様の教えが記載された「仏教聖典」が奉納されるなど、全国から学僧が集い、学問を精力的に行ってきたと伝えられる。

これを裏付ける根拠として、中御門右大臣・藤原宗忠が記した「中右記」という日記の中の1103年(興和5年)5月 条に、「一切経堂を見廻り、一代聖教という経典を奉納した」ということが記されてい‥‥‥申す。パキョっ

しかしながら、一切経は清水寺に伝承されておらず、はたまた記録上にも伝えられた記録がない。

中世時代、清水寺は学僧たちが集う全国有数の学問所だった?

名古屋の七寺(ななつでら/長福寺(ちょうふくじ))が所蔵する平安末期(1171年〜1176年)に書写されたとされる一切経の奥書(おくがき/書物の最後に記された年月日や作者の名前・由来のこと)には次のようなことが記されてい‥‥‥申す。プピャっ

京都岡崎・法勝寺(ほっしょうじ)所蔵の一切経や清水寺蔵書の底本(ていほん/草稿のこと)あるいは、校本(こうほん/文書や文字の違いを示した本)として、幾冊も書写や校正した旨の記述が見つかった。

これにより、当時の清水寺が奈良仏教の学問寺として境内にそれに相応しい規模の経堂を有し、全国から学僧たちが参集し、仏典の書写や研究を行ぅ、一大機関になっていた背景が示唆される。

仏典書写とは、平易に写経のことを言ぃ、写経は仏教を学ぶ上で登竜門として位置付けられたことから、そういった意味合いで捉えると清水寺にはこれから仏教を学ぶ学僧から、高位の学僧まで幅広く、全国から参集していた背景がよぎる。ウフ

清水寺・経堂の建築様式(造り)

虹梁と大瓶束

経堂の妻側の軒下には虹梁の上に大瓶束(たいへいづか)が乗った古式の禅宗様(唐様)が用いられている。

虹梁の下には肘木(実肘木)を通じて平三斗(ひらみつと)を用いた古式をプンプン‥プンっ!と今朝の口臭のヘドロ臭ほど匂わせる。肘木の先を拳鼻状にするなど、独特の意匠がうかがえる。

角柱

経堂は隣の開山堂と建物の形は似ているが、開山堂の方には丸柱が用いられ、経堂には角柱が見える。

通例では角柱よりも円柱の方が格式では上。来迎柱などは円柱が使用されるのも仏間という格式や伝統・信仰を意識し、重んじるため、荘厳さを醸す。

角柱は人家などに見られる。

蔀戸(しとみど)

経堂には壁の代わりに蔀戸が据えられている。

蔀は優雅な平安貴族の邸宅を彷彿とさせ、その佇まいは、もはやお堂というよりは京都・仁和寺(にんなじ)の近藤君‥‥ではなく、金堂(旧紫宸殿)!に見られる寝殿造の意匠を見せた御殿(ごでん)に見えなくもなぅぃ。

なお、この経堂は2000年(平成12年)にも再建(解体・修理)が実施され、彩色を復元。その後、落慶法要も営まれている。

また、この工事の際、内部に安置されていた一切経を新書庫に移動している。

開山堂と経堂

双方ともパッと見、見分けが付きにくいが、こうして並べて見るとその歴然とした差が分かる。

開山堂は開山である田村将軍とその妻の高子氏が奉斎されることから、屋根上は格式高ぃ、こけら葺き(檜皮)が用いられているのに対し、経堂は瓦葺きになっている。

細部に目をやると、例えば組物にしても田村どうは組物が柱上に見えるが、経堂には質素、且つ簡素な舟肘木が巡らされている。

もっともな格式が目立つ箇所が田村堂には、高欄(こうらん/手すり)が附属した縁が巡らされている。




清水寺・経堂の特徴(見どころ)

鏡天井の「円龍」

経堂の特徴としては「鏡天井(かがみてんじょう)」呼称される数枚の板を張り巡らせた「真っ平らな天井」が特徴的。

この鏡天井には江戸時代の絵師・「岡村信基(おかむらのぶもと)」による墨絵の「円龍」が描かれてい‥‥‥申す。ポニョっ ん?どっかで聞いた‥

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ただ、岡村信基の軌跡を記した資料などがほとんど現存しておらず、謎多き貴方のような人物‥‥となる。💋

釈迦三尊像

経堂の内部の中央には、須弥壇が配置され、その上に寛永9年に造立された七条大仏師・康音(こうおん)作の宝冠釈迦如来坐像を中座に据え、その左に象さんに乗った普賢菩薩、その右側にはワンちゃん(獅子)に乗った文殊菩薩を脇侍として配した釈迦三尊像が奉安されてい‥‥申す。クポっ ….ん?これもどっかで聞いた‥

転輪蔵

堂を向かい見て左端には「転輪蔵(てんりんぞう)」を配置し、一切経を収めるための書架としてい‥‥‥ます。連発はキツぃ

傅大士像と普建・普成像

画像は清水寺有料冊子より

また、輪転蔵(輪転する蔵もしくは書架)を考案したとされる中国・梁の時代の傅大士(ふだいし/傅翕(ふきゅう)とも言ぅ)と、その偉業を継承してさらに世に広めた息子の普建(ふけん)・普成(ふせい)兄弟の尊像が安置される。

ちなみに輪転蔵とは、1本の柱に八面の棚を据えた回転式の本棚(書架)のこと。回転するので経典が収納しやすい上、目的の経典が探しやすい。

現在では、輪転蔵を1回まわすだけで、収納される経典すべてを読んだだけの功徳が得られるとして、参拝客に回転させる体験を通じて教化(布教)を行う寺院も散見される。

なお、傅大士の尊像は、経蔵のある全国の寺院の境内で見られるので清水寺特有のものではない。

大涅槃図

毎年2月15日には、お釈迦さまの恩徳(入滅日)を讃える「涅槃会の法要」が執行され、その際、堂内では江戸時代の絵師・山口雪渓の「大涅槃図(だいねはんぞう)」が特別に公開される。

この大涅槃図は、3.91m×3.03mの大きなものですが、雪渓が1707年(宝永4年)12月から2か月半ほどで描き上げたという記録が残ってい‥‥申す。ゔぁぉぉぉっ …トトロ?

2003年には約1年を費やして全面的に修復され、鮮やかな色合いが再現された。

普段は経堂内部を拝観することはできないが、涅槃会から約1週間は一般公開される。(拝観料は原則無料 ※公式サイトを要チェック‥やでぃ! by.彦一




経堂の円龍が清水寺の七不思議!?

実は上述した岡村信基の円龍ですが、なんとぉぅ!夜になると「音羽の滝の水を飲むために経堂を抜け出す」と云ぅ。

嘘のようなヒョンと(訳:ホント)の話。まさに清水寺のトリビア・七不思議?

清水寺の七不思議については以下の別ページにてご紹介しております。

関連記事: やっぱり実在していたのか!!京都・清水寺の裏話と「とんでもない七不思議」

清水寺・経堂の涅槃会(涅槃図の一般公開)の「開催日程・拝観可能時間・拝観料金(入場料金)」など

開催場所:京都市東山区清水1-294(清水寺・経堂内)
開催日程:例年2月15日から1週間程度
開催時間:9時~16時
入場料金(拝観料金):無料 (※但し、本堂・舞台へ行くには清水寺の入場料金が必要)
公式サイト:https://www.kiyomizudera.or.jp/(音羽山 清水寺)

公開時間について

9時から法要が営まれその後に一般公開となる。

清水寺・経堂の拝観料金・拝観時間

清水寺の経堂は普段は閉扉されていて、堂内を拝観することができない。すなわち、一般非公開となってい‥‥‥申す。プピョっ

期間限定とはなるが、展覧会やその他の法要などで利用されることがあるので、その際には堂内へ入って見学することができる。

経堂にて開催されるイベント行事については、清水寺の公式サイトを‥‥要チェックやでぃ!彦一2発目

清水寺・経堂の場所(地図)

清水寺の経堂は仁王門から進み三重塔の裏側、田村堂の前方に位置します。


清水寺境内・周辺の観光スポット一覧

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