やっぱり実在していたのか!!京都・清水寺の裏話と「とんでもない七不思議」
ここ京都・清水寺は創建から何千年という由緒ある歴史を持つ寺院です。
そんなことから、七不思議の1つや2つあっても全くおかしくはないと言うことです。
むしろ、無い方が不思議であり、逆にどんな七不思議であるのかが気になってきます。
清水寺に何度も行ったと仰る方も多いかと思いますが、そんな方であっても、まだまだ知られざる清水寺の秘密がいっぱいあります。
今回はその中から、「清水寺の七不思議」と呼ばれるものや、清水寺の有名スポットの裏話などをご紹介しましょう。
清水寺の七不思議&裏話【その1】「仁王門の狛犬」
一般的に狛犬は、口を開けている「阿形」と、口を閉じている「吽形」が一対になっているものです。
しかし、清水寺の仁王門前の狛犬は双方とも「阿形」なのです。
一説には、お釈迦様の教えを、世に大きな声で知らしめるためだとも言われています。
尚、現在、一般的に寺社の境内で見ることのできる狛犬は、密教の思想が色濃く反映され、「阿形」と「吽形」の狛犬像が通例です。
しかし、この狛犬像は密教が広まる以前の、古式を印象づける狛犬とも受け取れます。
仁王門の詳細については当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。
関連記事:京都・清水寺「仁王門」【重要文化財】
清水寺の七不思議&裏話【その2】「仁王門左手の鐘楼」
清水寺の楼門の向かって左手には、安土桃山様式の美しい鐘楼があります。
おおよそのお寺で見ることのできる鐘楼は4本の柱で支えられています。
しかしよく見ると、この清水寺の鐘楼に至っては、なぜか柱が2本多い「6本もある」ことに気づきます。
これは、清水寺の鐘楼の梵鐘(鐘)が普通の梵鐘より重く、そのために6本の柱で支えていると云われていますが柱が多い理由は依然、謎とされています。
一説によると、創建当初の鐘楼に吊られていた梵鐘が従来の梵鐘よりも大きく重量があったために、柱が6本据えられたとも云われております。
清水寺の鐘楼に関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。
関連記事:京都・清水寺「鐘楼」【重要文化財】
清水寺の七不思議&裏話【その3】「巨大な仏足石」
清水寺の境内、朝倉堂の近くには、高さ約70センチ、横幅約1メートルもの石に、長さ約50センチほどの大きな足跡が型どられています。
この足跡は「仏足石(ぶっそくせき)」と呼称し、日本全国の至る場所で見かけることがあります。
通常、仏足石は「お釈迦様の足跡」とも云われ、お釈迦さまが説法した時の足跡だとも伝えられています。
しかし、こと清水寺に関しては「弁慶の足跡」であるとも、はたまた「平景清(たいらのかげきよ)」、通称・「悪七兵衛(あくしちびょうえ)の足跡」だとも言われているようですが、その真相は定かではありません。
この仏足石のご利益としては、この足跡の面をさすることで足に関する厄災を消除できたり、頭が良くなると云われています。
尚、弁慶の足跡だと云われる理由としては清水寺の舞台の上でも弁慶と牛若丸(義経)の決闘が行われたと伝わっています。
悪七兵衛と言えば、有名な話が伝わっており、大仏さんの落慶法要で訪れた源頼朝を襲撃しようと東大寺の転害門で待ち伏せしていたところ、頼朝の配下に見つかってしまい捕縛されかけて命からがら逃げ去ったとの伝記も残されています。
転害門を模して轟門を造営した話や、東大寺の転害門に見ることのできる二重虹梁の造りが清水寺の堂舎でも観られる節、はたまた、上記の悪七兵衛の話など、清水寺と東大寺とは何だか深い謎の縁で結ばれているような気がします。
仏足石の詳細については以下↓のページでもご紹介しています。
「弁慶の足跡」と呼ばれる理由
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「景清(悪七兵衛)」と呼ばれる理由
清水寺の七不思議&裏話【その4】「ふくろうの手水鉢」
拝観券を購入する窓口近くの轟橋を渡る左手前には手水鉢があります。
この手水鉢は「梟(ふくろう)の手水鉢」と呼ばれているのですが、水が流れ落ちてくる部分は「龍」の手水口になっていて「梟(ふくろう)」などどこにも見当たりません。
一体どこへ?・・と思いきや、なんと手水鉢の下にある台座に、しっかりとフクロウが彫り込まれているのです。
ほとんどの参拝者の方がこの事実を知らずに通り過ぎるのですが、清水寺へ訪れた際は是非!この手水鉢の足元にも注目してみてください。
ちなみにこの手水鉢の回りは本堂・舞台へ行くために轟門を通る人で溢れかえっています。くれぐれも人の邪魔にならない範囲で足元をご覧ください。
「ふくろうの手水鉢」に関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。
清水寺の七不思議&裏話【その5】「八方睨みの虎(虎の石灯籠)」
清水寺の境内の西門の下の広場に、中央に丸い穴の開いた大石が置かれています。
この大石は実は、ななぬぅあんとぉぅ!「石灯籠」になります。
この石が灯籠と呼ばれる理由は、中央上部の穴が「火袋(ひぶくろ)」として設計されているためです。
火袋とは、灯りとなる「ロウソクや油」などを灯りが消えないように雨風から守るためのものです。
よく道や参道で見かける「棒立ちの灯籠」であれば、上部の膨らんだ部分(灯りが灯る部分)を火袋と言います。
この石灯籠、実は福井県敦賀出身の画家「岸駒(がんく)」と呼ばれる「江戸時代の虎の絵の職人」が下絵を書いて制作したと伝えられています。
岸駒は後に岸派と呼ばれる独自の派を立ち上げるほどになります。
岸駒には弟子が多数いたことから、その弟子の中の1人とされる「木津成助」がこの石灯籠の土台となる石を造形して用意したと云われています。
そしてこの石灯籠をよく見れば分かりますが、「今にも石から飛び出てきそうな虎」が彫られていることから、古来、「八方睨みの虎」と呼ばれています。
なんでも夜な夜な灯篭から抜け出しては、音羽の滝の水をグビグビと、ビールを浴びるように飲みに行くという言い伝えが残されています。今日ビールをクソほど浴びる
後に岸駒は、本当に生きているような繊細な虎の絵を書くことで名を馳せていくことになります。
例えば虎の歯の形状や本数、頭の形状など当時ではかなりリアリティをもって描かれており、これらは1798年(寛政10年)当時、日本に滞在していた中国商人から虎の頭蓋骨を入手したことがキッカケになったとも云われています。
岸駒が没したのが1839年(天保9年)と伝えられていることから、この虎の絵が1798年から1839年の間に制作されたことが分かります。
ちなみに石碑の左上には「文政九年丙戌春 木津成助」との刻銘があり、つまりは1826年(文政9年)」にこの石碑が清水寺へ奉納されたことになります。
また、同時にこの石が今から約200年前の石である事実も浮き彫りになってきます。
八方睨みの虎(虎の石灯籠)と呼ばれる意味(理由)
ちょっと、この石灯籠の前に立ち止まって、ジ~っと、虎くんと見つめ合ってみてください。
そしてそのまま視線を変えないで左右いずれかの方向へ、一歩二歩三歩四歩・・と歩いてみてください。
何が言いたいのかお分かりでしょうか?
そうなんです。「どの方向にいても虎くんと目が合う」のです。
清水寺へ訪れた際は、是非一度、ためしてみてください。ウフん♥
清水寺の七不思議&裏話【その6】「三重塔の龍瓦」
清水寺の三重塔の屋根の先端の部分をよくご覧になってください。
四方に鬼瓦がついているのが見受けられます。
しかし、南東の方角だけ、なんと!その顔が龍の顔になっているのです。
これは防火のおまじないで、北西には愛宕山に守られているのに対し、その逆の南東を守る神様が存在しなかったため、ここだけ龍の顔を型どったのだとか。
はたまた音羽の滝に棲むと云われる龍神を敬うために据えられたとも云われています。
三重塔の詳細については当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。
清水寺の七不思議&裏話【その7】「首振り地蔵」
七不思議の最後にご紹介するのは、清水寺境内の入り口付近に位置する善光寺堂の手前に鎮座するお地蔵様です。
別名で「待ち人地蔵(まちびとじぞう)」とも呼ばれるそうですが、何とこのお地蔵様の首、動かせるんです!
首が動かせる理由とは、このお地蔵さんが造られた時、首だけ造られたという話や胴体だけが後で造られたと言う話があります。(詳細はコチラ)
ただ、このお地蔵さんを造ったとされる人物は様々な曰く付きであったようで、その人物が”ある人”を待っていたから、このお地蔵さんも未だにある人を待っていると伝えられています。
ここで謎が出てきますが、”待ち人”とはいったい???・・ギャぁぁぁ~っ!!(恐)
そして、この首が動かせる本当の理由は知られていませんが・・・まさか!ギぃャぁぁぁぁぁぁ~~っ・・・アンふっ♥
なお、”待ち人地蔵”の由来とは、例えばあなた自身が「ある人」を今でも待っている状態の時に、善光寺堂へ訪れて首が胴体を一周することができれば、近い時期、待ち人が訪れるそうです。
善光寺堂の詳細に関しては当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。
清水寺の七不思議&裏話【その8】「本堂の蝉(せみ)の呪い??」
見つけづらいのであまり知られていませんが、本堂の外陣には細かい格子状の蔀戸(しとみど)が張り巡らされています。
この蔀戸には、「落とし錠」が付けられており、なんと!「蝉(せみ)」の形状をした飾り金具が取り付けられています。
蝉はご存知の通り、人が近づくとションベンを撒き散らし鳴きながら逃げ去っていきます。
蝉が錠に付けられている理由は明らかにされておらず、これも清水寺の七不思議の1つと云われていますが、一説では、泥棒が侵入しても蝉が鳴くことで人がいることを知らせるので、「不審者の侵入を妨害する意味合いがある」とも考えられています。
なお、このような蝉を装飾に用いる例は中国が発祥とされ、中国では再生の象徴として主に青銅器などの装飾として用いられました。蝉が再生の象徴であるとされる理由は、蝉は長い年月を地中で過ごし、それから地上へ這い出て今度は自由に大空を飛び回ります。昔の人々は地中から天へと舞い上がっていく蝉の様子が神秘的に見えたのかも知れません。
【補足】蝉の装飾が用いられている主な寺社
- 知恩院
- 日光東照宮
終わりに・・
いかがでしたか?
清水寺の七不思議&裏話をご紹介しました。
ご存知の通り、この京都・清水寺は世界的に名前の知られた名刹であり、観光スポットでもあります。
ただ、清水寺にはこのページでご紹介した七不思議以外にも、他に様々な裏話も伝承されているようです。
例えば、恋愛成就や不老長寿、学力の向上などに、ご利益があると言われている「音羽の瀧」があります。
実はその昔、「音羽の瀧」の水源とも云われる「牛尾山」で「大蛇退治」が行われた際、その大蛇の血で「水が真っ赤に染まった」という言い伝えがあります。
また、清水寺のシンボルとされる「清水の舞台」があります。
なんでもその昔、清水の舞台から飛び降りて「生きて帰れることができれば願いが叶い」、「もし死んだとしても必ず極楽浄土に行ける」との伝承が残されています。
このような話を信じて盲信した人が、何人も清水の舞台から飛び降りたと云われています。
今後は、あなた自身が実際に体験して見つけてみてください。…ヒッヒッヒッヒッ