ご利益は出世?清水寺には”半跏”と”半笑い”の2体の大黒天像があった!!

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京都清水寺の御本尊は清水型の十一面観音ということで、古来、観音信仰の聖地として知られてい申すが、実は清水寺には現在、2体の大黒天像が伝えられてい‥‥‥申す。ワサビ ハ エスビーっ

そのうちの一体が本堂の外陣部分にて奉斎される半笑いの大黒天像となる。

この大黒天像、単なる大黒天像ではなく、あたかも立身出世のご利益が満載であることを示すかの如く、その名も「出世大黒天」と呼ぶ。

清水寺の出世大黒天とは?

轟門前に突っ立つ係員のオッちゃんに拝観券を見せて門をくぐり抜け、西側の車寄せを進むと、やがてその先に体躯に光沢のある実に真新しい半笑いの大黒天像が見えてくる。

像高(高さ)は113㎝とやや小ぶり。本像が真新しく見えるのは、2008年に京都伝統工芸大学の手により塗装されて綺麗にされたから。

以前の像は賽銭(硬貨)を投げ入れる際、命中を外して像に当てる参拝客がいたり、招福の霊験あらたかとかで、撫で回されるなどしたため剥落が著しかった。

実はこの大黒天像、想像もつかないほど歴史が古く、室町時代に描かれたとされる「清水寺参詣曼荼羅」の中に描かれている様子が見える。

ただし、清水寺ではなく、五条大橋(五条通り)の鴨川中州に建つ大黒堂(法城寺)に祀られている様子が描かれている。

清水寺参詣曼荼羅ドコか分かる?⬆️曼荼羅の左隅あたりに注目❗️


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正解はココ。1.2.3.👇⬆️中央の建物の左端に座っているのは人ではなく、この大黒天像と伝わる。

ちなみに法城寺はすでに廃絶して存在しない。‥‥というより、上掲、絵図のような中州は今はなぅぃ。

⬆️現在の五条大橋

⬆️五条大橋から見た鴨川の風景。

出世大黒天は江戸時代に移されまくる!

この出世大黒天像は江戸時代になると法成寺(清水門前町2丁目)に移され、その後、清水寺境内の轟門手前の大黒堂に再び移されることになる。

ちなみに当時の清水寺の大黒堂とは、現在の拝観券売り場の建物のことだと云われる。

そして現在はと云ぅと‥前述した西車寄せを進んだ先の本堂外陣部分に奉祀されてい‥‥‥申す。シュシュゥェィっ(”出世”を表現)

現在は触ることができなくなっているが、冒頭でも述べたように往時は撫でることで霊験あらたかなご利益が得られたとされ、長らく多くの参拝客が撫でるうちの漆塗りの塗装が剥落し、いよいよ2008年(平成20年)に補修される運びとなってい‥‥ます。フェイント

ただ、その補修の際、室町時代の姿に戻すことを念頭において作業が進められ、現在見ることのできる姿はその完成後の姿となる。

出世大黒天像の特徴

本像はまず、坐像ではないということ。よく見ると非常に短足ではあるが足がある。

  • ド頭の上には大黒頭巾を被る。
  • 右手は胸元の位置で大黒天らしく打ち出の小槌を握りしめて手持つ。
  • 左手でいかにも金運の利益が詰まっていそうな金の福袋をやや先端部分を袋を閉じるようにして握りしめる。そして、それを肩へかけるようにして持つ。
  • 足元には麻呂麻呂シューズ(貴族の履く靴)を履く。
  • 自らの身長ほどの大きさの2表の米俵の上に立つ恰好で乗る。
  • そして最大の特徴となるのが‥‥‥『半笑い』。しかも単なる半笑いではなく、もはやこれは『究極の半笑い』ともいえるほどのレベル。

本像が室町期に製作されたのだとすれば、未来である現代を見通せたのか?‥‥現代でも十分に通用する見事な半笑いの形相を表現してい‥‥‥申す。クッ、クッ、クッ、クッ….(半笑いを表現) 紙一重で”野口”

大黒天の信仰は室町末期に広まった

室町末期になると中国との交易が盛んになり、中国の思想である道教の福禄寿や寿老人、布袋尊なども伝来し、やがてアメノウズメや鞍馬の毘沙門天などが合わさって七福神思想が広まる。

その中心にあったのが大黒天と恵比寿の2神。

室町時代に制作された清水寺参詣曼荼羅に描かれているのが、この大黒天像なのであれば、まさにその流行の真っ只中に造立されたこととなり、室町時代の歴史を知る上でも大変、貴重な像となる。うきゃ

‥‥‥それでなぜ色が黒いのか?

この大黒天像は、真っ黒クロ助と比較できるほどに、真っ暗くら寿司ともなるほど、真っ黒黒色で塗り塗りとされてい申すが、これは室町期に造立された当初から黒色をしていたことに因む。…助派か寿司派どっちやねん!浮気者!

しかしながら室町期に特に大黒天像を黒く塗るのが流行したワケではなく、そもそも大黒天像の起源とされるインドのマハーカーラ神は黒い体をした姿で描かれていることに因む。

本場インドでは青黒い身体に憤怒相をした姿で表現された。

⬆️マハーカーラ(画像引用先:https://ja.wikipedia.org/

大黒天の意味
  • 大は“マハー(優しく寛大・大きく偉大という意味合も込められる)”
  • 黒は“カーラ(暗黒)を示す

日本においての大黒天は天部の護法善神(仏教や仏教を信仰する者を守る神)に位置付けられることから、「大黒天」とされる。

大黒天のご利益

  • 招福・福徳、商売繁昌

天台系の寺では現在でも台所の神として台所や食堂に神棚を設けて奉祀する例もある。(高野山金剛峰寺の台所にて神棚の上に大黒天像が奉斎されているのを見たことがある)

大黒天は市場の神?

大黒天は市場を開設する時に置かれることもあったため、恵比寿などと共に「市神」とも呼ばれる。

やがて市が成熟して来ると祠や堂が築かれてその中で奉安されるようになる。

ひょっとすると清水寺の大黒天像も往時は中州の寺に奉安されていたということは祇園あたりの市神として奉斎されていたのかもしれなぅぃ。

えっ?!清水寺にはもう1体、半跏の大黒天像があったの?

実は清水寺にはもう1体、半跏(はんか/片足をもう片方の足の股(もも)の上に乗せて座る姿勢)のポージングをとる大黒天像が存在するが、名前を「大黒天半跏像」と云う。

本像は大変めずらしく貴重な像であるとされるのには理由があり、通例の大黒天のイメージとはかけ離れた像容をしているからにほかならない。

画像は清水寺でいただいた有料冊子より

大黒天半跏像の特徴
  • ド頭の上に宝冠をいただき
  • 左手に如意棒(宝棒)を持つ
  • まるで後漢時代の漢服のような衣装を着用している

半跏趺坐のポージングをとる

本像の像高(高さ)は54.3㎝、ヒノキ材を用いた寄木造りで、現在は剥落しているが、彩色が施されていたことが明らかにされてい‥‥‥申す。ブピャっ

寄木造りが用いられている点や半跏のポージングを加味して、平安後期〜鎌倉時代と見られているが、武器を持つ像容をしていることから、インドの武装姿の大黒天が中国を経て日本へ伝来し、それから星霜経たずに造立されたため、武器と袋を両手に持つという奇形且つ、半端な像容が出来上がったものだと見られてい‥‥‥申す。ちょぃ発動スルー(今気分のってきてエエとこ)

云うならば大黒天像の歴史の変遷における定着過程の像と見られることから貴重であり、はたまた、上記の半笑い大黒天像のルーツとも成り得る。

つまり、清水寺へ訪れると、うまく行けば大黒天像の系譜が一度に見られるという貴重な経験ができることになる。

なお、半跏大黒天像は現在、大講堂の宝蔵殿に安置されている。宝蔵殿は基本一般非公開だが、電話申し込みすることで見せていただくことができる場合がある。(もしくは期間限定で一般公開されることもある)

ただし、出陳される宝物はその時にならないと分からない。ただ、本像は公開される頻度が高いとのこと。

これまで中途半端な人生を歩んできて、「俺、来週結婚すんだ。だから今までのクソみてぇな人生にケリつけなきゃってな‥へっへっ。」‥‥‥てな思いのコノヤローは半端な本像を見て‥‥‥どうすんの? いやいや、そこまでふっといて‥、何とかせぃよ


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忘れずに!出世大黒天さんのお守り!

半笑い大黒天さんはその愛嬌あふれる像容も相まって、清水寺では出世大黒天守りを製販されてい‥‥‥申す。ガハっ

⬆️実際にいただいた半笑い大黒天さんのお守り。底部には大黒天の種字である「म(マ)」が記されてい‥‥ここで発動はできない

ご利益は立身出世、招福のほか、笑顔をしていることから笑顔が絶えない幸福招来の利益もあるとのこと。

ちなみにこの大黒天さんのお守りはゴム材を使用していることからプ〜ニョ、プ〜ニョ、桜の子〜♪‥‥している。….桜の子? 意味不明

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