京都・清水寺「子安塔」【重要文化財】

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京都・清水寺「子安の塔」【重要文化財】

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創建年

  • 不明
再建年

  • 1500年(明応9年/室町時代)
  • 1624年(寛永元年)から1643年(寛永20年)/江戸時代
建築様式(造り)

  • 三重塔婆
  • 一重
屋根の造り

  • 檜皮葺
大きさ

  • 四辺三間(四辺:約6m)
  • 高さ:約15m
重要文化財指定年月日

  • 1966年(昭和41年)6月11日
御本尊

  • 子安観音(千手観音)

清水寺・子安塔の読み方

清水寺の境内には難しい漢字の表記のお堂や御本尊がありますが、子安塔は「こやすのとう」と読みます。

清水寺・子安塔の歴史・由来


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この子安塔は清水寺・子安塔として有名ですが、正式には清水寺の塔頭(小院)である泰産寺(たいざんじ)に属する塔婆になります。

清水寺の境内には他にも三重塔が存在しますが、知らない方はこの塔が清水寺の三重塔だと間違う方もおられます。

子安塔はもともとは仁王門の左手前に造営されていましたが、1911年(明治44年)に現在の場所へ移築されています。

移築された理由としては、清水寺が子安塔を売り払い、境内の「地主神社」を現在の子安塔が建つ場所へ造営する計画があったためです。

清水寺は檀家(だんか)を持たない寺院なので資金は寺領の収入のみでした。

明治時代に差し掛かり、この寺領が減らされたため資金調達が難しくなり、境内の堂舎をやむなく売り払った歴史があります。

現在見ることのできる子安の塔の姿は1500年(明応9年/室町時代)に再建された時のもので、外観は2013年(平成25年)に修復された時のものです。

清水寺の参道「三年坂」と子安塔の意外なつながり

清水寺の参道として古くから親しまれている「三年坂」ですが、実はこの子安塔の意外な繋がりがあったことはあまり知られていません。

実は「三年坂」と言う呼称は古来では「産寧坂(さんねいさか)」と呼称したそうです。

「産寧」とは「お産が寧か(やすらか)に済む=安産」の意味を指し、なんでもこの参道は子安塔の御本尊・子安観音へ参詣するための参道であったそうです。

現在では時代を経る過程で「産寧」がにごって「三年」と呼称され、一般的には「三年坂」の呼称で通っていますが、上記のような理由があったことはあまり知られていません。

また、この三年坂には他にも由来があって、お礼参りで再度訪れることから「再念坂」と言った由来もあるようです。

尚、この子安塔は「洛陽三十三所観音巡礼」の「第14番札所」にも定められています。

洛陽三十三所観音巡礼とは、京都の観音菩薩を祭祀する霊場(寺院)33ヶ所を巡拝することであり、この33ヶ所の霊場を「洛陽三十三所観音霊場」と呼称します。

ちなみにここ京都清水寺だけで以下↓の6ヶ所も霊場が存在してます。

清水寺善光寺堂(旧地蔵院)・「如意輪観音菩薩」:第10番
清水寺奥の院・「三面千手千眼観音菩薩像」:第11番
清水寺本堂・「十一面千手千眼観音菩薩」:第12番

清水寺阿弥陀堂・「法然上人第二十五霊場」第13番
清水寺朝倉堂・「十一面千手千眼観音菩薩」:第14番
清水寺泰産寺・「十一面千手千眼観音菩薩(子安観音)」:第15番

清水寺・子安塔の御本尊「十一面千手千眼観音菩薩(子安観音)」

清水寺の子安塔の御本尊である「十一面千手千眼観音菩薩(じゅういちめんせんんじゅせんがん かんのんぼさつ)」は別称で「子安観音」とも呼称されています。

像高わずか6cmほどの小さな観音を胎内に宿らせた像になります。

そもそも「十一面千手千眼観音菩薩」とは「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」のことであり、この観世音菩薩の行う所業(誓願)の1つに「難産にならないよう安産を助ける」と言うものがあります。

つまりこれが「子安観音」と呼ばれる理由になります。

観世音菩薩は、より多くの衆生(しゅじょう/世の中のあらゆるもの)を漏らすことなく救済するために、自らの身体を変化させ千本の手を出したと云われています。

子安塔が安産祈願で有名になった理由

子安塔が安産祈願として日本全国規模で有名なった理由とは、「聖武天皇(しょうむてんのう)」と「光明皇后(こうみょうてんのう)」が、この子安塔へ安産祈願へ参詣し、無事に安産で御子(孝謙天皇)が生まれたことに起因しております。

聖武天皇とは「奈良時代の天皇」であり「東大寺の発願者」でもある御方です。

一説によると、聖武天皇が御子が無事に生まれた御礼としてこの三重塔を寄進し造営したと伝えられているようですが、そうなると子安の塔は奈良時代から存在したことになります。

清水寺・子安塔の建築様式(造り)

清水寺の子安塔の建築的特徴として特に注目する点は、色鮮やかな朱色の塗装、そして屋根の造りとして「檜皮葺(ひわだぶき)」で葺かれている点です。

朱色で塗装された二手先の出組と尾垂木、二層三層には欄干(らんかん/飾り手すり)が据えられています。

各層の屋根裏の垂木までも見事な朱色で塗装されており、各層・和様平行繁垂木で組まれています。

従来の清水寺の子安塔を知っている方であれば、朱色がなく素木の質素な造りの塔をイメージされると思われます。

しかし現在の子安塔は鮮やかな朱色の塗装がされており、この姿は創建当初の姿を復元した姿になるそうです。

清水寺・子安の塔(泰産寺)の御朱印

子安の塔を管轄している「泰産寺」でも、オリジナルの御朱印を授与していただくことができます。

  • 子安の塔(泰産寺)の御朱印の授与場所:本堂・舞台裏の納経所
  • 子安の塔(泰産寺)の御朱印の値段:300円
清水寺・子安塔の場所

清水寺の子安塔は境内「音羽の滝」もしくは「奥の院」のさらに奥に位置します。

終わりに・・

奥の院から子安塔へ行かれる場合、阿弥陀堂から続く山沿いの道を歩くことになります。

この山沿いの道では、清水寺の名物「錦雲渓(きんうんけい)」と呼称される景色が拝めます。

錦雲渓とは写真などでよく見かける「舞台と舞台下に群生する木々」などを含めた絶景のことです。

従ってカメラと望遠鏡は必需品です。お忘れなく!ウフ

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