清水寺・仁王門の2体の仁王像
以下、画像は清水寺でいただいた冊子より
向かって右側:「那羅延堅固王(那羅延天)/なら えんけんごおう」
- 造立年:鎌倉時代末期
- 像高:約365cm(3m65㎝)
- 工法:寄木造り
- 作者:不明(推定:慶派仏師)
那羅延堅固王の特徴
「阿形(あぎょう)」で口が開いてい‥‥‥申す。イギャグゥギャホェっ ….だんだんエスカレートしてきたな
法具となる金剛どっこぃしょっと、腰下ろす‥‥ではなく、金剛独鈷杵(こんごうどっこしょ)!を持物として手持ち、煩悩を打ち払ぉうとする菩提心(悟りを得ようとする心)を表す。
ちなみに那羅とは、現在の奈良を示す言葉でもある。奈良は古くは「那羅」や「平城」「寧楽」とも書いた。‥‥ただ、奈良との関係性については調査中。オホっ
向かって左側:「密迹金剛力士(みっしゃく こんごうりきし)」
- 造立年:鎌倉時代末期
- 像高:約365cm(3m65㎝)
- 工法:寄木造り
- 材質:ヒノキ
- 作者:不明(推定:慶派仏師)
吽形(うんぎょう)」で口が閉じてい‥‥‥申す。2連発はねぇ..。.サブさを生むというしねぇ.。オホ
此方の仁王像は武器を持たないが、手のひらを大きく広げているポージングで表現されているが、これは業魔(ごうま)の勧善懲悪(かんぜんちょうあく)に臨む姿勢を表し、すなわち、悪を懲らしめ逆に改心させて仏教に帰依させるという意味合いを持つ。
ちなみに「密迹」とは、仏語で「仏の近くにあって仏の秘密の事迹(事実の痕跡)を聞く。つまり真理のこと。」と解される。まさにこの仁王様にピッタリの名前といえる。うきゃ
清水寺の仁王像の特徴
京都都内最大の仁王像
仁王門の仁王像は、京都内の仁王像としては最大の大きさを誇ると云われる。
寄木造り
いずれもヒノキ材を手・足・頭などの所定の場所で切り出し、最終的にそれらを組み合わせた「寄木造り(よせぎづくり)」で造立された仁王像となる。
鎌倉時代の特徴を示す
首に見える筋状の筋肉、胸元から脛に至るまでの隆々とした立体感あふれる筋肉の作り方や、玉眼であること、丸まりながらも左右にイカつく末広がりを見せる鼻などは力強さが伝わる。
天衣や裳(も)の流麗かつ写実的な造形美など、鎌倉時代以降の特徴がよくにじみ出てた部分といえる。
清水寺を守護する門番
清水寺の正門たる仁王門に立ち、境内の堂塔および、その中に奉斎される諸仏を365日、日夜、守護している。
‥‥‥とまぁ、そのような厳粛な様に考えず、古来、「仁王さん」とも親しみをもって尊ばれるように、年数からしても我々人間とは比較にならぬぁぃほどの悠久の時を経てきたことから、今はなき先達といぅ見方をもって目の前で手を合わせるのが宜しかろぅ。
仁王像の歴史
この仁王像の歴史は判然とせず、現在まで諸説、語られてい‥‥‥申す。ガオォっ(仁王像が吠えた声を表現)
応仁の乱の類焼により、1469年(文明元年)に焼亡に至り、その後、再造されたという説があるが、明らかにされている事実としては寛永の大造営(再建/1629年(寛永6年)以後に補修されてい‥‥‥ます。(フェイント)
しかしながら、星霜経て幾度にもわたる改修が行われながらも鎌倉時代の特徴をよく残し、保存状態も悪いものではないことから、貴重とされてい‥‥‥申す。‥‥。‥。(無言ver.)
まさかぁ!仁王像も清水寺の七不思議?!
「乳首(ちくび)」が何故かゼカぜかコノヤローなほどに植物柄(フラワー🌼)になっている。..すさまじいビーチクや 開花しとる
見方を変えると「乳頭(にゅうとう)」の周囲の「乳輪(にゅうりん)」をデカ針の蚊に5発刺されて、カキまくったあげく‥、ポコっ、ペコっ、ん?いや、へっこんどるがな。次いこ! ポピャっ、ケロっ、…なんでカエルやねん。はぃ次! 、プピっ、パピっ‥‥ふぅ。 以上の6個、‥‥6個?まぁエエわ。 こホンっ! え〜、以上5個のビ〜チクが腫れ上がってきたともいえます。カぃ~の
これも清水寺の七不思議と呼べるのではないでしょうか。呼べるかぃ
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