清水寺の泰産寺とは?
奥の院を過ぎたあたりの山道沿いには、通称「千本桜」と呼ばれる山桜が繁茂する一帯が見えてくる。
毎年、春になると千本もの桜が一斉に開花し、清水寺ひいては春の京都を代表する観光スポットとなり得る場所である。
この山道をさらに進むとやがて清閑寺と呼ばれる寺院へ至る道が見えてくるが、昨今の清水寺では拝観ルートが定められ、この道の手前でU字を描くように再び舞台(本堂)の方向へターンするようになっている。
そのU字の左脇には小峰がそびえ、この頂にもう1つの三重塔である子安の塔が建つ。
この子安の塔を管理し、内部の観音像などを奉祀しているのが、泰産寺(たいさんじ)と呼ばれる寺院となる。
泰産寺は成就院の支院(子院)だった
泰産寺は明治時代以前は成就院の塔頭だったが、現在は清水寺の塔頭(支院)となり、ちょうど子安の塔の手前に僧坊をかまえてい‥‥‥申す。オンギャっ(赤子だけに)
泰産寺の外観や見どころ
「大慈大悲観世音菩薩」の縦額
仏殿への出入口、軒下には「大慈大悲観世音菩薩」の縦額が吊られる。
「峰頂万年松」の横額
上記、縦額の左脇には黄檗宗(おうばくしゅう)第二世・木庵禅師が揮毫したとされる「峰頂万年松」の横額もある。
木庵禅師は「木庵性瑫(もくあん しょうとう」と言い、16歳で出家して以来、僧侶としての人生を歩み、1665年には江戸に滞在した折、4代将軍徳川家綱に謁見。1669年には将軍より紫衣を賜っている。
同師は中国・明からの渡来人という立場を活かした能書家としても知られ、その書風は当時の日本で絶賛された。その作品の1つとなるのが、上掲写真の横額である。
「泰産寺」の名前の由来
泰産寺の泰産とは、「安産」の別義。
「泰」とは「やすらか」を意味し、それに「産まれる」を付して「やすらかなお産」としたもの。つまり、「苦痛や危険もなく子を産むこと=安産」を指す。
泰産寺の内部の様子
内部には本堂に倣い、本尊として十一面観音菩薩立像を奉安する。
その脇侍として、毘沙門天と地蔵菩薩、そして二十八部衆と風神・雷神像を配するなど、まさに本堂に倣ったものといえる。
泰産寺の歴史
明治初頭に政府から発せられた廃仏毀釈の一環により、上知令が出され、清水寺の寺領が接収されるに至る。
これにより、従来のわずか10分の1の寺領になってしまったため、多くの支院が廃絶した。また、当面の困窮状態をしのぐため清水寺は、土地の切り売りなどをするより他なかった。
その一環として子安の塔が売り払われることが決まり、現在の仁王門が建つあたりに移建されることになる。
しかしほどなくして京都府の復興プロジェクトが立ち上がり、その中に観光事業の活性化があったため、1897年(明治30年)に古社寺保存法が制定され、清水寺の伽藍は再建される至った。
この再建の折、地元京都の財界も清水寺の再建事業へ資金提供を行い、清水寺はこの資金を上知令で政府に没収された旧寺領の買い上げに奔走する。
しかしすべての旧寺領を買い戻すまでには至らず、わずか一部だけだが、現在の子安の塔が建つ南の丘陵地帯は買い戻すことができた。
この後、子安の塔が当地に移建される運びとなり、やがて現在見られるような泰産寺の仏堂や僧坊も建造される。
明治時代以降の泰産寺の様子
子安の塔が移建された後の泰産寺は、半ば京都の芸術家が集うサロンとなっていた。
メンバーは清水寺の総代(平易に代表)であり、当時の清水寺最大のパトロン(後援者)でもあった、京都の政財界のドンとまで云われた「内貴清兵衛(日本新薬の創設者)」、篆刻家(印判の製作)の福田大観(北大路廬山人)、日本画家(仏画家)の富田渓仙などの芸術愛好家が寄宿し、日夜、芸術談義などを交わしていたと云われる。
富田渓仙はタテ2m66㎝、ヨコ172㎝もの「伎芸天図(ぎげいてん)」と、タテ2m02㎝、ヨコ174㎝の「訶梨帝母(かりもていも/鬼子母神図)」と名付けた大作を泰産寺に奉献してい‥‥‥申す。クッカキョっ
泰産寺は洛陽三十三所観音巡礼の第十四番札所
洛陽三十三所観音巡礼の歴史は古く、平安期に後白河法皇が定めたとされる霊場巡礼のこと。
法王によって選出された観音菩薩を奉祀する京都府京都市内の三十三ヶ寺を巡礼する。
平安期には大師信仰が広まり西国三十三所も注目されたが、広範囲に札所が点在することから誰しもが簡単に巡礼できず、困難が伴った。
そこで法王は西国三十三所に倣って京都に洛陽三十三所観音巡礼を創設し、西国三十三所巡礼するのと等しいだけの”功徳”を、まるで女性を”口説く”かのように積めるとしたのが当巡礼である。….どゆ意味じゃゴラ
ちなみに「洛陽」とは中国の都市「洛陽(らくよう)」に由来した言葉。
桓武天皇が平安遷都の後、平安京の西側(右京)を長安城、東側(左京)を洛陽城と命名したことに因む。実際に当巡礼には右京区は含まれていない。
- 洛陽三十三所観音巡礼の公式サイトはコチラ
泰産寺の御朱印
泰産寺でも御朱印を頒布しているが、泰産寺では御朱印を授与していない。授与場所は本堂奥の売店横の朱印所。
泰産寺の御詠歌
たいないに やどりしよりも たのみつる こやすのとうの ほとけなるらん
清水寺の御朱印については下記ページにて詳しくまとめているので、要チェックやでぃ!…..by.彦一
泰産寺の内部へは基本入れない
泰産寺の堂内は一般の参拝客は入れない。
参拝する場合は仏堂の外で遥拝という形で手を合わして祈りを捧げる。もし、たまたま住職と出会う機会があれば、一声かけて参拝したい旨を告げるとひょっとすれば中へ入れてくれるかもしれなぅぃ。
泰産寺の子安の塔について
下記リンク先のページを参照。
泰産寺の拝観料金や参拝時間など
- 住所:京都市東山区清水一丁目294
- 駐車場:無し(近隣に市営駐車場あり)
- 拝観料金:必要(清水寺の拝観料金に準ずる ※2022年2月時点で400円)
- 公式サイト:http://www.kiyomizudera.or.jp(京都 清水寺)
参拝できる時間:
- 開門/午前6時~午後6時(清水寺の拝観時間に準ずる)
- 納経時間/午前8時~午後6時(清水寺の拝観時間に準ずる)
※清水寺の拝観時間は年度や季節によって変わるので上記時間はあくまでも目安。
泰産寺のご利益
清水寺では泰産寺を子安の塔を守護する寺院としていることから、子安の塔に因んだ利益があるとされる。
しかしながら、仏殿の中には本堂や奥の院とまったく同じ仏尊が奉斎される事実を以って、本堂と同じ利益とみれる。
泰産寺の場所(地図)
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