京都・地主神社の七夕には「索餅」と呼ばれる謎の物が存在する!

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京都・地主神社の七夕には「索餅」と呼ばれる謎の物が存在する!

地主神社の創建は、神代の昔とされ、歴代天皇の行幸も仰ぐなど親しまれてきた歴史を持ちます。

1886年(明治19年)の建都1100年を祝して奉納された絵馬には、当時の風俗と共に良縁祈願の乙女たちの様子が描かれており、昔から身分や性別を問わず広範な人々から信仰を集めていたことがわかります。

京都・地主神社の少し特殊な「七夕」

京都・地主神社の7月7日は、少し特殊で特別な日となります。

7月7日と言えば、あなたもご存知の「七夕」です。

7月7日・七夕になると、織姫と彦星が1年でたった1回だけ会うことができます。

京都・地主神社の「七夕」は、季節を司る大祭の1つであり、恋愛成就を盛大に願うお祭りとなります。

京都・地主神社の七夕には「索餅」と呼ばれる謎の物が存在する!この日は、朝から浴衣姿の特に若い女性やカップルが地主神社へ訪れ、古来から篤い信仰が寄せられている伝統の神事・「七夕こけしお祓い」が催され「良縁達成」「恋愛成就」を祈願します。

京都・地主神社の「七夕こけしお祓い」

京都・地主神社の「七夕こけしお祓い」地主神社の「七夕こけしお祓い」では、織姫・彦星に見立た「一組のこけし」が授与されています。

この「こけし」に自分と相手(思い人)の名を書き、堅く結び合わせて本殿両側の大笹につるし、恋の願掛けを行いうもので、ご利益を求める多くの人で境内は賑わいます。

「七夕こけしお祓い」とは?

地主神社の「七夕こけしお祓い」とは、「七夕こけし」と呼称する「こけしの形をした紙」に願い事を書いて境内に設置された大きな笹の枝に吊るして祈願する儀式であり神事です。

七夕こけしには、恋愛成就や良縁招来などの祈願を書きます。

午後14時からは御本殿にて祭典が執り行われ人々の願い事の成就を神々へ祈願します。

七夕こけしの祈願方法

上記の写真(画像)を見るかぎりでは「七夕こけし」は男性用と女性用とで2種類あるように見えますが、実は「男性こけし紙」と「女性こけし紙」とがセットになって1枚になります。

この七夕こけし紙は、すでにご察しの通り、「男性こけし紙が彦星」で「女性こけし紙が織姫」になります。

あなたが男性であれば彦星こけし紙に自分の名前を書き、織姫こけし紙には好ぅきぃなチュッ・・こホンっ!お相手の名前を書いて境内に設置された大きな笹の枝に吊るします。

女性であればその逆に織姫こけしに自分の名前を書いて、好きな男性の名前を彦星こけし紙に書きます。

自分の性別のこけし紙には自らの相手に対しての特別な願い事を書いても良いでしょう。

また相手がいない場合は理想の相手ぇを思い浮かべて、その相手のような人と出会えますように~などを書いて祈願します。

その後、神職さんによって午後14時に神事が開始され神様に願いが祈願されます。

七夕こけしの授与場所

境内の授与所もしくは郵送でも授与も可能です。

ただし郵送の場合は7月7日に到着する必要があるので、概ね1週間前後以前から問い合わせておく必要があります。

七夕こけし紙の申し込みの受付開始時期は地主神社のホームページに掲載されます。

京都・地主神社ホームページ:http://www.jishujinja.or.jp/jishu/gyouji/tanabata/

地主神社のお問い合わせ先

住所:〒605-0862京都府京都市東山区清水1丁目317「京都地主神社」
電話番号:075-541-2097
営業時間(参拝可能時間):午前9時~午後17時
定休日:年中無休

七夕は中国生まれのお祭りだった!?「日本の七夕の由来と起源」

「七夕」の由来はもともと日本の神事であった「棚機(たなばた)」と、織姫・彦星の伝記が奈良時代に中国から伝わった「乞巧奠(きっこうでん)の行事」と習合したものだといわれています。

「乞巧奠」とは、もともとは織姫(おりひめ)にあやかって「機織り(はたおり」や、裁縫が上達するように7月7日にお祈りをする中国の行事でした。

しかし日本でも、やがて芸事や書道などの上達も願うようになり、この行事が日本でも用いられるようになり、伝統の七夕行事の1つとなって行きました。

えぇっ?!七夕には「そうめん」を食べる風習がある??

七夕と聞けば、笹に願い事や流れ星に願い事などのイメージが先行しますが、実は一般的にあまり知られていない伝統があります。

その伝統とは、一昔前までは七夕に「そうめん」を食していたようです。

「そうめん」の先祖(ルーツ)は「索餅(さくべい)と」と呼称される「唐のお菓子(唐菓子)」の1つで、7月7日に素麺(そうめん)を食べるという風習は、実は中国から伝わったものだったのです。

それで中国から伝わった「索餅」とは?

「索餅」とは奈良時代に遣唐使が仏教と共に中国から持ち込んだものの1つと伝えられています。

索餅↑索餅

中国の伝説によると、昔、7月7日に帝の子が亡くなって「鬼」となって疫病をはやらせたそうです。

その帝の子はお菓子が大好物だったようで、お菓子を帝の子の墓へ供えたところ、なんと!ピタッ!・・っと、ウソのように疫病が鎮まったそうです。

以降、中国では7月7日の七夕には家族・郎党、一族が寄り集まり、索餅を食べて無病息災を祈願したと云われております。


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「素麺の起源と索餅」

日本でも、中国から七夕の行事が伝わった当初は同じようにその「お菓子(索餅)」を食べていました。

しかし、当時の日本では「索餅」を「索麺(さうめん)」と呼んで食していたようで、以降、時代を経る過程で「索麺(さうめん)」が、⇒「素麺(そうめん)」と呼び方が推移していったといわれています。

また、時代と共に推移していったのは素麺の呼び名だけではなく、素麺の形状も進化して行きます。

素麺は1000年以上も食べられている伝統の食べ物だった!!

中国には季節の食事をとって健康を維持するという漢方の考え方があります。

同様に日本でも、夏の食べものの代表である素麺(そうめん)を、七夕の伝統食事として無病息災を祈って食べ続けてきました。

そして、驚くことにこの素麺ですが、なんと!1000年以上も昔から、現代に至るまで変わらずに食され続けてきた歴史があることはあまり知られていません。

現在の日本には日本三大素麺と呼ばれる素麺の三大産地があります。

  • 三輪地方(奈良県桜井市)
  • 播州地方(兵庫県南部)
  • 小豆島(香川県)

これらの日本三大素麺と呼ばれる産地では、おおよそ鎌倉時代後期から安土桃山時代の頃に現在みることができるような、細い本格的な素麺づくりが始まったと云われております。

また、時代を経る過程で索餅を食べやすくするために、索餅を油で揚げてしまう前に延ばして細く切って揚げたような索餅も出始めたと云われています。

これが「手延べ素麺」の起源だとも云われています。

索麺

ちなみに短冊を笹に吊るして願い事を書くという風習は日本独自の文化と云われています。

「良縁達成」「恋愛成就」を叶えるため笹に短冊を吊るして、その上「そうめん」とその伝統のもととなった「お菓子(索餅)」も食べて、夏の暑さを乗り越える活力と「無病息災」を期待したいものですね。ウフん

【補足】索餅の作り方

実は、これもあまり知られていませんが「索餅」は現代の家庭でも普通に食されています。

作り方は極めて簡単で、「米粉」と「小麦粉」があれば簡単に作ることができます。

索餅作りに用意する物

  • 米粉:100g
  • 小麦粉(薄力粉):100g
  • 塩:小さじ2杯
  • 水:100ml前後
  • 砂糖:お好み(食べる時に振りかける)

 まず、上記の材料である・・
・米粉(100g)
・小麦粉(100g)
・塩(小さじ2杯)
・水(100ml前後)

・・を、混ぜ合わせて、ひたすらコネくりまわします。
※パン生地をコネる要領です。

 粘着が出て伸ばせるくらいになれば、食べれるサイズに小分けします。

 小分けした生地を伸ばしてクネクネとネジっていきます。

 あとは、フライパンで焼きます。

 キツネ色に焼けてきたら完成です。

 最後は、お好みの合わせて砂糖を上から振りかけて、堕落したドテッ腹に流すだけです。

終わりに・・

たまには、少し違った特殊な七夕を演出するのもステキですね。

ご興味のある方は、1度、索餅を自作してみてください。

なんなら、カップルで索餅を作って良いですね

カレカノ同士の距離は縮まること間違いなしです。ウフ

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