都🐲清水寺「随求堂(元・慈心院塔頭)」

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京都・清水寺「随求堂(元・慈心院塔頭)」

創建年

  • 不明

※室町時代以前

再建年

  • 1718年(享保3年/江戸時代)
大きさ・「前堂」

  • 横幅:約16m
  • 奥行き:約10m

※楼閣造り

大きさ「後堂」

  • 横幅:約5m
  • 奥行き:約5m

※宝形造り

御本尊

  • 大随求菩薩座像
御本尊・脇侍

  • 吉祥天立像
  • 毘沙門天立像※宝蔵殿安置
その他の安置仏像

  • 大聖歓喜天
  • 粟島明神
発願者

  • 盛松権律師(初代住職)

清水寺「随求堂」の読み方

随求堂は「ずいぐどう/ずいぐいどう」、慈心院は「じしんいん」と読みます。

随求堂の”随求”の意味と名前の由来

随求堂の”随求”とは、随求菩薩という菩薩をまつる堂であることから「随求堂」と呼ばれる。

ただ、随求堂の正式名は「慈心院・随求堂」です。

慈心院(随求堂)の役割

この随求堂はかつて清水寺境内に存在した「慈心院」の本堂にあたり、明治時代以前は清水寺の住職の代理であり、住職に次ぐ位となる「目代(もくだい)」を輩出する寺院としての役目を担っていた。

その慈心院は清水寺の中でも執行職を担った宝性院(ほっしょういん)の次の寺格(2番目)を有する寺院でしが、廃仏毀釈の潮流を受けて書院、庫裡などが整理され、現在はこの随求堂を残すのみとなっている。(宝性院は仁王門の西隣りに現存)

⬆️現在の宝性院

【補足】宝性院の場所

なお、宝性院は一般公開されておらず、部外者は原則、立ち入り禁止。




随求堂の建築様式(造り)と内部構造

随求堂の内部は前堂、相の間、後堂と地下室で構成されています。

前堂

前堂は外陣部分にあたります。一般非公開です。外陣の屋根の軒下、堂舎の出入口には後述する盛松権律師・作の「随求殿」の扁額(横額)が飾られてい‥‥‥申す。ペキャホェっ

⬆️「随求殿」の横額

なお、盛松権律師は釈迦堂の前あたりに置かれている全国霊場めぐりができるお砂踏みの宝篋印塔を奉納した人物でもある。

胎内めぐりの入口は前堂!

また有名な「胎内めぐり」もこの外陣部分で行えます。

向かって右端に仏龕(ぶつがん/大切なものを収納する入れ物)が安置されていますが、この仏龕の中には「大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)」が祀られています。

⬆️随求堂の内部の様子

大聖歓喜天

聖歓喜天は特徴的な仏様であり、像頭を持つ男女が抱き合う..イヤぁんチュっ的な仏像として有名です。ご利益は夫婦和合・縁結び・子宝・安産などです。

粟島明神

はたまた左端の小堂には粟島明神(あわしまみょうじん)が祀られています。この粟島明神は和歌山の粟島神社の総本社「粟島神社(淡島神社/和歌山県加太)」から勧請したとされる仏様です。妊婦病の平癒や厄除けのご利益があります。

千鳥破風の龍の鏝絵(こてえ)

前堂の上部、千鳥破風(屋根)の妻(三角になっている白地の部分)には「龍」の鏝絵(平易にレリーフのこと)があしらわれている。

千鳥破風が堂に用いられている例は希少。その上、龍の鏝絵はまさに優作と呼ぶに相応しい出来栄え。エッヘン

注意点としてはこの鏝絵は堂の入口あたりからは見上げても屋根が邪魔をして見えないということ。

少し三重塔の方へ移動してから、愛しい君の横顔を斜めから見つめるように斜めからに見るようにしないと拝めない。….もぅ、だまっとけ

ちなみに上掲の龍の鏝絵の写真は三重塔の手前あたりから移動しながら撮影したもの。うきゃ

相の間

相の間は前堂と後堂をつなぐ空間であり、ここには本堂と同じ清水型千手観音像や十一面観音菩薩、大聖歓喜天が祀られています。

⬆️横から見た随求堂

後堂

後堂は内陣部分にあたり、ここには御本尊である「大随求菩薩座像」が祀られています。前堂と同じく一般非公開です。

床下(地下)部分

床下となる地下部分は、胎内めぐりができるように洞窟になっています。胎内めぐりに関しての詳細は後述。

清水寺「随求堂」の歴史

実は、この随求堂がいつ頃、創建されたのかは明らかにされていませんが、室町時代以前は「轟坊(とどろきぼう)」と呼ばれていた。

安土桃山時代に太閤秀吉が男子の世継ぎ誕生の祈願に訪れ、寺領を賽銭代わりに奉納し、同時に現在の「慈心院」という名前も贈ってい‥‥‥申す。ブピャっ

明治初頭の神仏分離令および廃仏毀釈によって慈心院が廃され、慈心院の本堂であったこの随求堂だけが残り、以後、現在に至るまで慈心院の名前を受け継いでい‥‥‥ます。(フェイント)

ちなみに慈心院の跡地となるのが、この随求堂を正面に見て左下の空き地。現在は春日社と中興堂が建つ場所となる。

清水寺の境内は数えられるだけで過去、10回以上も焼失や破壊が繰り返されているが、その都度、随求堂も再建されてきた歴史を有する。

現在見ることのできる随求堂の姿は2006年(平成18年)に解体修理を行われた後の姿。この修理では建立年(再建年)を示した棟札が見つかり、さらに色彩までも以前のものを復元されてい‥‥‥申す。プピャェギャっ

京都・清水寺「大随求菩薩(随求堂)」のご利益

大随求菩薩は、安産・多産のご利益の他、「万能の菩薩様」と云われていますので、心から真摯にお祈りを捧げることで、万能のご利益を授かることができます。

これらのご利益は大随求菩薩に通じる経典「大随求陀羅尼(だいずぐいだらに)」に記されており、またこの経典の内容を読経してそれを聞くだけでも「あらゆる罪が消除できる」と云われています。

なお、この随求堂では、随求堂独自のお守りを授与されています。なぜ”独自”なのか?は、すでにご察しのとおり、上記の随求陀羅尼の念(祈願)が込められているからです。

えぇっ?!「大随求陀羅尼」がお守りの起源だった?!

実は大随求陀羅尼の中の一文を紙にキレイに書き写して、キレイに折りたたんで持つことで、なんと!!あらゆる厄災除けの効果があるとも云われます。

一説では、このような一種の修法が広まってお守りとして持ち歩いたのが、現在のお守りの起源であるとも云われています。

随求堂で授与できるお守りについては以下の別ページにてご紹介しています。

関連記事: 京都・清水寺のお守りの「種類・値段・持ち方・購入場所(授所)の営業時間」など

随求堂の御本尊「大随求菩薩」について

随求堂の御本尊「大随求菩薩」については下記ページを参照。

生きているうちにあるかないか!随求堂の御本尊「大随求菩薩」 の特別一般公開

2018年は日本最古の巡礼路である「西国三十三所めぐり」が始まってから1300年の記念の年ということで、春と秋の2回に渡り、秘仏である「大随求菩薩」が一般公開されてい‥‥‥ん申す。ガヒョっ

これまでお堂の外での一般公開はあったものの、随求堂での公開はなんと!222年ぶり。

  • 特別公開期間:2018年3月2日(金)~18日(日)、10月5日(金)~15日(月)
  • 拝観時間:9時~16時 ※3月9日~18日の東山花灯路期間中は18時~21時(受付終了)
  • 拝観料:100円(胎内めぐりを含む)




随求堂に安置される仏像のご利益

大聖歓喜天
  • 子宝わんさか
  • 夫婦和合
吉祥天
  • 鎮護国家
  • 家内運気向上
  • 美人力UP
粟島明神(淡島神)
  • 女性の厄災消除のご利益を持つ神様(婦人病平癒、安産・子宝、家事仕事の上達)
毘沙門天
  • 福徳招来
  • 蓄財

【補足】大随求菩薩の脇侍に「毘沙門天」と「吉祥天」が祀られている理由

仏像がお好きな方であれば既知の方も多いことだろぅ。毘沙門天と吉祥天は夫婦の仏様なので婚姻関係にある。

古来、清水寺の大随求菩薩が持つご利益の中でも特に信仰されてきたのが、「縁結び」や「夫婦和合」「子宝」「安産」のご利益です。

これらのご利益のもととなった出来事の1つに上述、太閤秀吉が秀頼公を授かったことが挙げられます。

京都・清水寺「随求堂」では「胎内めぐり」ができるぅ??

実はこの「随求堂」では「胎内めぐり」、別称「戒壇めぐり」と呼称される摩訶不思議な一種のアトラクションのような祈願方法を体験することができます。

なお、胎内めぐりは恐怖心を煽り、肝試しのような感じでなさる方も多く見受けられますが、本来は上述のような祈願をしながら一歩一歩、噛みしめるように踏み入れて行くことでありがたい功徳を得られるものです。

胎内めぐりをされる場合は是非!暗闇なので恐怖心が湧き出てくるのも分かりますが、くれぐれも祈願を忘れないようにして当日のお参りを思い出に残る良きお参りとなさってください。

清水寺・随求堂の胎内めぐりの「拝観料金や所要時間、場所、効果(ご利益)」に関しては当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

関連記事: 京都・清水寺の「胎内めぐり」って何?「胎内めぐりの拝観料金・所要時間・場所・効果(ご利益)」

京都清水寺・慈心院 本堂「随求堂」の場所(地図)

仁王門から入り、三重塔の北西、三重塔から見て経堂の左脇に位置します。付近には春日社中興堂が建っています。

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