京都🐉清水寺の「平成の大改修(大修理)・工事中」って何?修理工事はいつまで続くのか?

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現在、清水寺は「平成の大改修」と呼ばれる大きな修理工事を行っている真っ只中です。

そこで、こんな疑問が出てきやしませんでしょうか?

清水寺の「平成の大改修(大修理)・工事中」って何?この修理工事はいつまで続くのか?

京都・清水寺の「平成の大改修」は1度に全部できない

清水寺の「平成の大修理(大改修)」とは、2008年から開始された、境内・堂舎群の「解体修理」および「半壊修理」を中心とした修理工事のことです。

主な工事内容としては、「可能な限り創建当初の清水寺伽藍の再現」をモットーとして、瓦葺き屋根から檜皮葺の屋根への葺き替え、ハゲた彩色の塗装、腐朽化した用材の修復、さらに、最新技術を投入して地震、台風などの自然災害を想定した予防工事も行われます。

修理工事は2008年から堂舎1棟か2棟ずつ順番に進められ、2017年2月、ついに最終段階となる、本堂の屋根の葺き替え工事に入っています。

この本堂の屋根の修理は約50年ぶりで、2017年2月〜2021年3月までの約4年間もの期間を要して行われる予定ですが、本堂の葺き替え工事と並行して、舞台の補修工事も執り行われます。

以下では、清水寺の平成の大修理の工事内容や実施期間、工事の状況についての詳細を述べています。

清水寺本堂の修理は無事終了しました!

2008年から9つの堂塔を対象にした「平成の大修理」から始まり2017年2月より実施されていました約50年ぶりの本堂の屋根の檜皮葺き替え工事が2019年末に完了しています。
この完了をもちまして、本堂を覆っていた素屋根も2020年2月下旬に撤去が完了し、晴れてリニューアルした真新しい本堂をご覧いただけます。

なお、引き続き2020年5月頃より舞台の板張り替え工事に入りますので、5月までは「清水の舞台」の全貌をご覧いただけます。

それに加え、本堂安置のご本尊「十一面千手観世音菩薩」これまで通りに御尊容を拝することができます。

合掌

※追記※
  • 2020年(令和2年)12月3日※平成の大修理における舞台の修理が完了

50年ぶりの屋根の檜皮の葺き替えに続き、舞台板の張り替えに入っておりました当山本堂の修復工事がまもなく完了いたします。
ご本尊に工事の終了を奉告するための法要を営んだのち、12月3日午後から舞台上のこれまで立ち入りを制限してきた場所を開放します。ご参拝の皆さまにも新しい「清水の舞台」を踏んでいただく予定です。

なお、全山での落慶法要は感染症拡大の状況を鑑み、2021年秋以降に行う予定です。




清水寺に襲いかかる恐ろしいガン(癌)

現在の清水寺の堂舎群のほとんどは、1629年(寛永6/江戸時代)に境内の成就院(じょうじゅいん)からの失火により発生した大火災で焼失した後、1633年(寛永10年)に再建された時の姿です。

この寛永期の再建工事は、後水尾天皇の嫁であり、徳川家光公の妹でもある「東福門院(とうふくもんいん)」の発願、江戸幕府3代将軍・「徳川家光公」の寄進(援助金の提供)によって執り行われています。

現在、私たちが目にする清水寺の堂舎群は、寛永期の再建から修理を重ねたものであり、約400年近く雨風に晒された建物は、あちこちで痛みが生じてきています。

特に舞台の柱は樹齢300年以上のケヤキを使用しており、ケヤキの耐用年数は800年と言われていますが、365日休みなく1日何万人という参拝者を支えていることから寿命もグッと短くなります。

そこで2008年(平成20年)から始まったのが「平成の大改修」です。

京都・清水寺の「平成の大改修」って何?引用先:http://s0510552.cocolog-nifty.com/

平成の大改修は総工期11年、総工費約40億円を要する一大プロジェクトで、8つの重要文化財と国宝である本堂・舞台を、順次修復していきます。

建物の状態によって修復方法はさまざまですが、いずれも建物を一度、全て解体したり、柱を残してあとはすべて解体する半解体など、大掛かりな工事ばかりです。

京都・清水寺の「平成の大改修」は1度に全部できない

常に観光客が多い中、安全に工事を進める一方、できるだけ美しい景観を保つため、工事はおおむね1つか2つの堂舎ずつを順番に慎重に進められています。

まず、馬駐(うまとどめ)北総門朝倉堂子安塔阿弥陀堂奥の院三重塔轟門、などが完了し、2018年3月には、本堂清水の舞台の工事が進められました。

本堂の修理が終了した後、最後に釈迦堂にて屋根の葺き替えと復原補修(創建当初の再現)が2018年(平成30年)以降に行われています。

清水寺の現在の建造物群一覧表(再建の時代別)

1469年(文明元年)の応仁の乱の兵火より再建された堂舎群

  • 馬駐
  • 仁王門
  • 鐘楼
  • 子安塔
1629年(寛永6年)の成就院の失火の大火災により再建された堂舎群

  • 西門、三重塔、経堂、田村堂、朝倉堂、轟門、本堂
  • 本坊北総門、鎮守堂(春日社)、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院




平成の大修理の工事場所(堂舎)と工事内容・工事期間(スケジュール)

前述のように現在の清水寺境内の建物のほとんどは寛永期の大火事の後となる1629年(寛永6年)に再建されたものがほとんど。

その中でも伽藍(境内)の端に建っていた仁王門などの建造物は火難を逃れることができたので、1469年(文明元年)の応仁の乱後の再建になります。

以下の三重塔を除く、御堂は平成の大修理にて極彩色に塗装し直されています。(三重塔は昭和期に極彩色の塗装を実施)

仁王門・鐘楼・西門・三重塔・経堂・田村堂(たむらどう)・阿弥陀堂・奥院(おくのいん)・子安塔

なお、奥の院に関しては一部の出組に彩色、柱には丹塗りが施されませんでしたが、これは以前の塗装の有無や、どのような塗装があったのかが判然としないため。

馬駐

馬駐は一度すべて解体されたのち、建築当初の姿に復元されています。建物が劣化していたことに加え、地盤沈下により傾いていたのです。

工事期間

2008年(平成20年)8月~2010年(平成22年)11月

工事内容:「解体修理」

  • 破損部分の補修
  • 後世の改造部分の痕跡をもとに以前の姿に戻す修理(復原補修)
  • 地盤沈下防止対策として基礎の新設

本坊北総門

本坊北総門は、門扉や瓦葺などが傷んでおり、すべて解体ののち建て直されています。

工事期間

2009年(平成21年)1月~2010年(平成22年)7月

工事内容:「解体修理」

  • 破損部分の補修

子安塔

子安塔は建物が傾いていたことに加え、塗装がハゲ落ちている部分などが見受けられたため、一度解体して建築当時の見事な朱色に染められた塔に復元されています。

工事期間

2009年(平成21年)2月~2013年(平成25年)8月

工事内容:「解体修理」

  • 後世の改造部分の痕跡をもとに以前の姿に戻す修理(復原補修)
  • 塗装が剥げ落ちた箇所の塗り直し(彩色の補修)
  • 暴風対策として建築構造全体の見直し・補強

朝倉堂

朝倉堂は軸部を残した半解体修理が行われ、軒先の乱れを整え、傾きをなおし、建具などの修復も行われています。

工事期間

2010年(平成22年)3月~2013年(平成25年)8月

工事内容:「半解体修理」

  • 後世の改造部分の痕跡をもとに以前の姿に戻す修理(復原補修)
  • 耐震性を向上させるために建築構造全体の見直し・補強

轟門

工事期間

2013年(平成25年)1月~2016年(平成28年)7月

工事内容:「解体修理」

  • 破損部分の補修
  • 後世の改造部分の痕跡をもとに以前の姿に戻す修理(復原補修)
  • 耐震性を向上させるために建築構造全体の見直し・補強

阿弥陀堂

工事期間

2011年(平成23年)3月~2017年(平成29年)6月

工事内容:「半解体修理」

  • 破損部分の補修
  • 後世の改造部分の痕跡をもとに以前の姿に戻す修理(復原補修)
  • 屋根を桟瓦葺(さんがわら)から檜皮葺に葺き替え

釈迦堂

工事期間

2018年(平成30年)以降(予定)

工事内容:「屋根葺替・部分修理」

  • 屋根を桟瓦葺(さんがわら)から檜皮葺に葺き替え※予定
  • 塗装が剥げ落ちた箇所の塗り直し(彩色の補修)※予定

奥の院

工事期間

2011年(平成23年)3月~2017年(平成29年)6月

工事内容:「半解体修理」

  • 後世の改造部分の痕跡をもとに以前の姿に戻す修理(復原補修)
  • 建物の外側上半分を中心とした彩色の塗り直し

「檜皮葺」について

この本堂の屋根の表面積はなんとぉぅ!約2050㎡もあります。この表面積約2000㎡とは、いったいどれくらいの広さかお分かりになりますか?

表面積約2000㎡を例えるなら「競技用の50mプール」や「広めのテニスコート」が3つ収まる程度の広さです。

この大きな屋根のために、約10年かけて、全国から大量の檜皮が取り寄せられました。その数、なっ、なんとぉっ!約156tもの量の檜皮になるとのことです。

前回の葺き替えは1964年(昭和39年)から3年間を要して執り行われており、その際、屋根の厚みは約9cmで葺かれています。しかし今回の平成の大修理の葺き替えでは、屋根の厚みを倍ほど増やし、本来(創建当初)の約17cmに戻して復原修理されています。その他、耐久性を向上させる工事も行われています。

檜皮葺とは?

檜皮葺とは「ひわだぶき」と読み、これは、檜(ひのき)の樹皮を何重にも重ねて葺かれた屋根のことです。

つまり、屋根の上によじ登って、檜皮を葺く作業を行う前には、まず、ヒノキの樹皮を剥き取る作業から開始されます。

↑ヒノキの樹皮を剥き取る様子

↑ヒノキの樹皮を何重にも重ねて葺き終わったあとの様子

檜皮葺の屋根は、「こけら葺」や「茅葺(かやぶき)」など、同じく植物を使って葺かれた屋根の中でも最も格式の高い技法で、古くから貴族の邸宅や寺社に用いられてきました。

ちなみに、「こけら葺き」とは「板葺き」の総称を言いますが、広義ではこの檜皮葺も「こけら葺き」の1つでもあります。

有名なところでは、長野県の善光寺本堂島根県の出雲大社本殿、広島県の厳島神社の本殿を含めた諸殿などの屋根が檜皮葺となっています。

ちなみに、国宝や重要文化財に指定されている檜皮葺の建物は、全国に730件ほどあり、その中の150件が京都市内にあるのだそうです!

そして、その中の1つが、国宝・清水寺本堂というわけです。




檜皮葺の特徴

【その1】燃えやすい”火の木”!

檜皮(ひわだ)つまり、ヒノキの皮は軽いので、瓦に比べて建物への負荷が少ない反面、時間が経つにつ入れて吸水力が落ちて乾燥し、燃えやすくなるという欠点もあります。

この燃えやすいという特徴が、清水寺の本堂が度重なる火災で焼失した要因の1つとも考えられます。

このため、古来、関係者の間では、別称で「火の木(=ヒノキ)」とも呼ばれるほどです。

【その2】「金属製の釘」ではなく、「竹の釘」が使用される!

檜皮葺屋根は、一般的には、長さ75cm、先端の幅15cm、後ろ側の幅10.5cm、厚さ1.5〜1.8mmほどの細長い形に加工された檜皮を、屋根の下から上に向かって、1.2cmほどずらしながら葺いていきます。

もちろん、ただ置いていくだけでははがれてしまいますから、檜皮は竹材を釘に仕立てた長さ約3㎝、直径約2ミリほどの「竹釘(たけくぎ)」で固定されます。

↑竹釘をハンマーで打ち込む瞬間

檜皮を重ねながら竹釘で固定していくと、厚さはおよそ10cmになりますが、軒先だけは10㎝以上(数十センチ)の厚さにすることもあります。

このような竹釘を使ったり、軒先を厚くしたりする技法は、平安時代以降に浸透したようです。

【その3】照り起りの屋根!

上述したように屋根に厚みの強弱が付けれるようになったおかげで、瓦葺の屋根では表現しづらい、しなやかで美しい曲線を出すことができるようになりました。

例えば、清水寺の本堂の屋根は、屋根の上の方が膨らみ、下の方が反ったきれいな曲線を描いています。

このような屋根を「照り起り(てりむくり)屋根」と呼びます。

檜皮葺屋根が存続の危機!?その理由とは?

【理由その1】「そもそも適したヒノキ」がない!

檜皮葺の屋根は、およそ30年〜40年ごとに葺き替えが必要です。

瓦葺だと60年〜100年ごと、こけら葺だと20年〜30年ごとの葺き替えになるとのことなので、葺き替えの手間としては、瓦葺とこけら葺の中間となります。

ただ、檜皮葺の屋根の葺き替えは、近年、大変難しくなってきています。

檜皮葺に用いる檜皮を採取する檜は、樹齢70年以上、直径が60cm以上という条件をクリアしたものが良いとされていますが、この大きさに到達する前に用材として伐採されることが多いので、当然のごとく、檜皮を取れる木は減ってしまっています。

また、一度皮を剥いでしまうと次に屋根に使える皮ができるまでに8〜10年の歳月が必要になります。

【理由その2】「原皮氏」がいない!

さらに、「原皮氏(もとかわし)」という、檜皮を採取する職人の後継者が減り、残った職人も高齢化で人手不足となっています。

このような苦しい状況の中、もともとは檜皮葺だった建物の屋根を、銅板葺などに変えてしまう例も多くなりました。

ちなみに「銅板葺き」とは銅製の板で葺いた屋根のことです。オホ

この状況を打破するため、現在は近畿地方や中国地方に「世界遺産貢献の森林(もり)」と名付けられた国有林が確保され、檜皮の提供や原皮氏の養成のために活用されています。

また、清水寺の近くには、「文化財建造物保存技術研修センター」が設置され、技術者の養成研修や講習会が行われています。

こちらのセンターでは、一般の方向けの展示もありますので、興味のある方はぜひ訪れてみてください。

京都市文化財建造物保存技術研修センター

  • 住所:〒605−0862 京都市東山区清水2-205−5
  • 電話番号:075−532−4053

清水寺の屋根の葺き替えで使用される檜皮の量はどれくらい??

この清水寺の大改修は約50年ぶりの実施であり、総費用約40億円という途方もない資金を投じて執り行われています。

これらの資金の使用用途の1つとして、当然のごとく、上述した「檜皮の仕入れ」や「葺き替え」の費用も充てられます。

そこで疑問が出てくるのが、「本堂だけでいったいどれだけの量の檜皮が使用されるのか?」・・と、いうことですが、例えば同様の檜皮葺の屋根を持つ「島根県・出雲大社本殿」を一例とした場合、出雲大社本殿の屋根の面積600㎡に対して、なんと!重量約47tもの檜皮が使用されています。

一方、清水寺は本堂の屋根の表面積が約2050㎡とされていますので、単純に見積もっても約156tもの檜皮が使用される計算になります。ほぉぇ〜

出雲大社本殿の屋根の表面積600㎡に対しての葺き替えの工期は約9ヶ月、素屋根の設置に約6ヶ月を要します。すなわち1年と3ヶ月。

これを清水寺本堂の大改修に当てはめた場合、出雲大社本殿の3倍以上の規模になりますので、工期に約3年もの年月を要する理由が納得ができるというものです。オホ




京都の名刹と謳われる「清水寺の舞台」も、まさか?!見れなくなる??

京都の名刹と謳われる「清水寺の舞台」も、まさか?!見れなくなる??

冒頭でもお話ししたように現在、京都の名刹として世界的に有名な「清水の舞台」正しくは「清水寺・本堂の舞台」が2017年(平成29年)の2月から工事が開始されています。

清水寺の舞台は数百年間、大規模な工事をしていません。

したがって、数百年分の工事をすることとなりますので、かなりの難工事になることが予想されます。

それで舞台に行くことはできるのか?

現在、工事期間中ですが、2017年(平成29年)7月より本堂全体に「素屋根(すやね)」と呼ばれるシートがかけられて覆われていましたが、この素屋根も2020年2月に撤去が完了しました。そして、ご安心を。修理中も、舞台には通常通りに行くことができます。オホ

本堂の工事が最後!しかし、工事期間はいつまで??

現在、本堂の工事が進められていますが、2020年3月現在、檜皮屋根の葺き替え工事は無事完了し、2020年5月頃からは舞台板の交換工事が開始されます。全ての修理が完了するのは2021年3月の予定となっています。

世界的にも有名な清水寺の美しい姿を、できるだけ後世に伝えるためだと思って、どうか温かい目で見守ってほしいものです。

本堂の修理スケジュール

修理内容
平成21年~檜皮の購入
平成22年構造診断
平成23年舞台下の発掘調査
平成25年舞台下の束柱(つかばしら)の根継ぎ補修、舞台下の斜面崩落防止のための予防工事(鋼管杭の打ち込み)
平成25年~舞台下の斜面表面の土間だたき補修、建具の漆塗補修
平成28年素屋根の建設(平成29年1月~7月)
平成29年~檜皮葺の葺き替え、漆喰(しっくい)壁の塗り直し
平成29年7月素屋根の完成
平成29年9月棟の量端の約380年前の鬼瓦の取り外し
平成29年9月本堂屋根の檜皮の剥離の完了
平成29年11月9月より本堂屋根の原寸大模型を用いて檜皮葺の試験施工
平成29年12月下軒付の蛇腹板を打ち付け
平成30年1月蛇腹板の打ち付け、正面西翼廊の西面まで施工完了
平成30年2月上軒打ち付けの施工開始。上軒打ち付け完成後は軒先部分の屋根下地を整理
今後の本堂の修理スケジュール

平成31年(令和元年):檜皮葺の葺き替え完了、素屋根の解体完了
令和2年:舞台の破損部分などの補修

【補足舞台下の束柱(つかばしら)の根継ぎ補修とは?

上記の表の中で「束柱」の「根継ぎ補修」という言葉が出てきましたが、「束柱(つかばしら)」とは、せり出た舞台を支える「脚」の役割を担う柱の名称です。

この束柱を全部取り替えるとかなり大掛かりな作業になる上、何人も舞台に立ち入りできなくなるので、地面に接した傷みやすい部分のみを切り出し、同じサイズの部材をはめ込む形で行われます。

すなわち、根元の部分を継ぎ足す形になるので「根継ぎ」が行われるわけです。
それでも大きな柱を少し持ち上げて新しい柱を入れるので、大変、慎重を要する大掛かりな作業となります。

【補足】本堂の建築構造と過去の歴史と再建年月日

できごと
798年(延暦17年)千手観音と脇侍に毘沙門天、地蔵菩薩を祀り本堂創建
807年(大同2年)坂上田村麻呂の嫁・三善高子の寄進により増築
1039年頃(長歴3年/平安時代)礼堂完成
1063年(康平6年/平安時代)本堂炎上(8月16日)
1064年(康平7年/平安時代)再建される
1091年(寛治5年/平安時代)本堂炎上(3月)
1094年(嘉保元年/平安時代)再建される(2月)
1110年〜1118年(天永〜元永年間/平安時代)舞台の存在が確認される
1146年(久安2年)本堂炎上(4月)
1147年(久安3年)再建される
1165年(永万年)本堂炎上(8月)
1173年(承安3年)本堂炎上(11月)
1220年(承久2年)本堂炎上(3月)
1349年(正平4年)本堂炎上(2月)
1469年(文明元年)再建される
1165年(永万年)本堂炎上(8月)
1173年(承安3年)本堂炎上(11月)
1469年(文明元年)本堂炎上(7月)
1629年(寛永6年)本堂炎上(9月)
1631年(寛永8年)東福門院(発願)・徳川家光(寄進)により再建工事開始
1633年(寛永10年)本堂再建成る(11月)
2017年(平成28年)本堂再建(2月)
2021年(令和3年)本堂再建※終了予定(3月)

終わりに・・

本堂にまつわる清水寺の取り組み

ご存知の通り、清水寺境内の堂舎の屋根は大半が檜皮葺で葺かれています。

また舞台の柱にはケヤキ材が使用されています。

一般的に建築に使用できるまでの用材になるには最低でも樹齢300年以上、適したもので400年以上の歴史が必要であると云われています。

そこで清水寺は京都府下の山々にケヤキを約3000本以上植林し、はたまた、屋根の葺き替えに使用するヒノキ材も植林しています。

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