なぜこの場所にぅぃ!「全国霊場のお砂踏み場ともなる宝篋印塔」とは?

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全国霊場のお砂踏み場ともなる宝篋印塔とは?

清水寺境内にはいくつか宝篋印塔が散見されるが、この宝篋印塔は金銅製で少し特殊な形をしている。

下層は三重産出の石材を用いて円筒状に仕上げ、上部には方形屋根とその上に相輪をいただく金銅製の宝篋印塔(ほうきょういんとう)を載せる。

この宝篋印塔には次のような刻銘が残されてい‥‥‥申す。ペキィョアヘっ

「慈心院 盛松」「享保十年(1725年)」

本師堂 瀧山寺(たきやまでら)

光明遍照 西国三十三所 土 秩父三十四土 坂東三十三土 四国八十八所土

南都七大寺土 善光寺土 大峰山土 富士山土 高野山土 熊野山土 比叡山土 日光山土‥‥立山土 この外六十余州の霊山・仏閣・女人結界地土

⬆️「十方世界(”すべての世界”の意)」の刻字も見える

之を以って宝塔周囲に納む。

ゆえに一度この塔を繞る(めぐる)者有らば、即ち右の諸寺諸山の参詣に等しかる可し

瀧山寺とは、京都清水寺の阿弥陀堂の別名。(中世時代、阿弥陀堂は音羽の滝の上(山手)に建つことから、滝上の山の寺と書いて「滝山寺(りょうせんじ/orたきやまでら)」とも呼ばれていた)

立山は万葉の時代より修験道が盛んなところ、同様に大峰山や熊野山も山岳信仰の聖地とされる場所。

以上、すでにお分りいただけたかと思うが、この塔の刻字は全国の霊寺や山岳信仰が盛んな聖山が刻字されてい‥‥‥申す。ポピャゥキェヘっ




全国霊場お砂踏み場の宝篋印塔のご利益

霊場めぐりをされている方であればすでにお分かりだと思うが、この塔の周りを周回することによって、塔に刻字されているお寺・聖山を礼拝したことに等しい口説く‥‥おっと、功徳!が積めるとされる。ふぅ

言うなれば、お砂踏みをしているのと同義。

宝篋印塔が清水寺に置かれている理由

この塔は「1725年(江戸時代)」「慈心院 盛松」の刻銘があるように江戸時代に慈心院の盛松という法師が建てたものになるが、慈心院とは現在の随求堂が属したお寺の名前。

つまり、江戸時代に清水寺境内にあった慈心院の初代住職である盛松権律師が奉納したことになるが、これは江戸時代では現在のように県境を簡単に往来できる時代ではなく、関所があった上、資金や時間的な問題で巡拝したくても、できなかった人々を救済するための処置として権律師が建てたもの。

⬆️最下層部に「瀧山寺」という刻字がシッカリかりかりカリカリ梅‥ 酸っぱ!‥てなほど見える

現代では新幹線などの鉄道を利用することで、いとも容易く県境を越えられるものの、日頃、仕事に追われていてなかなか霊場めぐりをしたくてもできない境遇もある。

一度、自分を見つめ直すつもりでこの塔まで来てグルっと1周まわってみるのも良いかもしれなぅぃ。

ポン酢の味がカフェオレに変わるかも。…いや、それはちょっと違う方向いっている。手術台方面

ところで‥‥‥宝篋印塔とは?

宝篋印塔とは、平易に「宝篋印陀羅尼」を内部に収めた供養塔のこと。

宝篋印陀羅尼とは、「一切如来心 秘密全身舎利 宝篋印陀羅尼経(いっさいにょらいしん ひみつぜんしんしゃり ほうきょう いんだらにきょう)のこと指し、塔の基礎部分(土台)に「宝篋印心咒経/ほうきょういんしんじゅきょう」の経文を刻む。

【補足】宝篋印塔の各部位の名前

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