「清水寺の舞台から飛び降りる」の意味(使い方)・由来・歴史と「飛び降りる理由と生存者数と死者の数」など

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「清水寺の舞台から飛び降りる」の意味(使い方)・由来・歴史と「飛び降りる理由と生存者数と死者の数」など

「清水の舞台から飛び降りる」の意味(使い方)・由来・歴史「飛び降りる理由」

清水の舞台から飛び降りるの「読み方」

中には「”しみず”の舞台から飛び降りる」と読む人みいるようですが、正式には「”きよみず”の舞台から飛び降りる」と読みます。

これは清水寺が「きよみずでら」と読むことに由来し、「清水の舞台」とは「清水寺・本堂の舞台」であるからです。

清水寺の舞台から「飛び降りる理由」という言葉の由来と飛び降りた理由

「極楽浄土へ行ける」説

どこからか耳にして記憶の片隅に残っている方も多いと思いますが、「清水の舞台から飛び降りる」という言葉があります。

この「清水の舞台から飛び降りる」という言葉の語源は、江戸時代に流行した一種の「ことわざ」のようなものだそうです。

何でも、この清水寺の舞台から飛び降りたあと、まだ息があって、立ちが上がる意識があれば、願いが本当に叶うと噂されていたそうです。

中には、恋愛関係の願いであれば、傘を持って清水の舞台から飛び降りて生きていれば、その思い人と結ばれるといった話まであったそうです。

他には、清水寺の舞台から飛び降りて、仮に息絶えても、安らかに成仏することができ、あの世では天国へ行けるなどといった話までも流行したと云われております。

この話のもととなったのは、江戸時代に、男女恋愛沙汰や、貧困などの理由により、「実際に飛び降りて願いが叶った者がいた」という噂で、この噂が広がるにつれ、「ことわざ」のような使い方をされるようになったのだと云われております。

そして、噂話を信じて、本当に飛び降りる人が後を絶たない・・と、いったことになるワケです。

↑鈴木春信・1765年(明和2年)作「清水舞台より飛ぶ女」↑鈴木春信・1765年(明和2年)作「清水舞台より飛ぶ女」

「末法思想」が背景にあったとも

清水寺の舞台は平安時代後期に初めて造営されたと云われています。

ご存知の通り、清水寺は観音信仰が盛んな寺院であり、その証拠に「西国三十三ヶ所」や「洛陽三十三箇所」などの観音信仰の中心的な場所として、ひときわ篤い崇敬が寄せられていました。

特に音羽の滝の源流がインドのはるか南の海の彼方にあるとされる「補陀落浄土(ふだらくじょうど)」へ繋がっていると本当に信じられていたようです。

そこでこの当時、庶民の間では「清水寺は補陀落(ふだらく)山の浄土そものであり、その舞台から飛び降りて果てることができれば極楽浄土へ行くことができる」などといった噂が蔓延したようです。

このような信仰が、清水の舞台から飛び降りる行為に至らしめた原因であるとも考えられます。

平安時代後期や鎌倉時代と言えば戦乱が続き、平安貴族と呼ばれた人々は私財を投じて世の栄華を極めていました。

それらの代償を支払っていたのが庶民層であり、明日をも知れぬほど貧困に窮していたことは想像がつきます。

江戸時代流行した歌舞伎(狂言/きょうげん)説

江戸時代となる元禄中期(1690年頃)、「清玄桜姫物(せいげんさくらひめもの)」という歌舞伎(狂言)が一斉を風靡し、世間の話題をさらったようです。

この歌舞伎は清水寺の僧侶「清玄」がお姫様「桜姫」に恋心を抱いてしまい、果敢にアタックを仕掛けるのですが、一方の桜姫は清玄から逃げまくるといった演目です。

この演目の最中、桜姫役の役者が、いきなり傘を開いて実際に演じている舞台から観客席に向かってダイブ(飛び降りる)するといった派手な演出で話題になったようです。

すなわち、この桜姫の飛び降り劇が引き金となり、上述したような「舞台を飛び降りると願いが成就する」もしくは「極楽浄土へ行ける」などと兼ね合わせて、多くの人々が実際に飛び降りるまでに至ったとも考えられています。

それで、実際に飛び降りた人がいるのか?何人いたのか?

江戸時代、実際に飛び降りた人が、なんと!234人もいたそうです。

この事実については、清水寺境内に現存している「成就院」の床下から1990年代に見つかった「清水寺成就院日記」という書物から記述が見つかっています。

清水寺の境内にある「成就院」は、江戸時代、奉行所へ報告をする義務を担っており、上述のことわざが流行して、飛び降りる者が後を立たなかったために、このような記録が残されたようです。

意外な事実!飛び降りて「本当に生きていた人の数と死者の数」

意外な事実!飛び降りて本当に生きていた人の数清水寺の舞台から飛び降りて生きていたら、ゾンビか奇跡しかないと思いますが、驚くことに、実際に飛び降りた人の生存率は、なんと!「85.4パーセント」だそうです。

100人飛び降りた人がいると仮定すると、およそ85人が生存していたことになります。

ただし、上記でお伝えした234人というのは、舞台から飛び降りを図って、止められた人の人数までもが含まれています。

したがって、その中には、実際に舞台から飛び降りた人もいれば、飛び降りなかった人もいるということになります。

また、これらはあくまでも成就院日記に残された記述のみの統計であって、実際にはもう少し飛び降りた人がいたとも考えることができます。

尚、この成就院日記には実際に飛び降りた人の数に関しても記述があります。

詳細は下記にてご紹介しています。

清水寺の舞台から実際に飛び降りた人の統計

以下は統計です。※「清水寺成就院日記」より

清水寺の舞台から実際に飛び降りた人の数

  • 約150人から180人
清水寺の舞台から飛び降りて命を落とした人の数

  • 34人
清水寺の舞台から飛び降りた年齢層

  • 12歳から80歳代まで
清水寺の舞台から飛び降りた男女の割合

  • 男:70パーセント
  • 女:30パーセント
清水寺の舞台から飛び降りた年齢別の割合

10歳から20歳代が飛び降りた全体人数の「73パーセント」を占めている。
10歳から20歳代の飛び降りた人の生存率は「90パーセント」である。
60歳以上で飛び降りた人は残念ながら、全員帰らぬ人に・・。

清水寺の舞台から飛び降りた人の性別別人数

  • 男性:161人(12歳から80歳)
  • 女性:63人(15歳から70歳)
  • 男性は女性の2.5倍!!
清水寺の舞台から飛び降りた人の職業

  • 武士や公家以外の奉公人、僧侶(尼含む)、下人、職人・医者の弟子など
清水寺の舞台から飛び降りた人の居住地(都道府県)の割合

  • 京都府在住の人が全体の約70パーセント
  • その他、日本全国
年間平均の飛び降り件数

  • 1.6件
他、記録されていない分を計算しての江戸時代全体の飛び降り件数総計

  • 424件
計測期間

  • 1694年から1864年(江戸時代)まで
  • おおよそ148年分の統計(空白期間あり)

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高さ12mもの高さの「清水寺の舞台」から飛び降りて生存していた理由

「清水の舞台から飛び降りる」の意味・由来・歴史「飛び降りる理由」現在の清水寺の舞台の下は、道路工事や補強がされていて地面が固くなり、また木々の数なども江戸時代の頃と比べて大きく減少しているようです。

つまり、江戸時代の清水寺の舞台の下は、現在よりも木々が多く生い茂り、地面(地盤)の補強などもされておらず、土が多かったので、12メートルもの舞台の上から落ちても、土や木がクッションとなり、簡単には息絶えなかったということです。

しかし、身体が弱ってくる60歳代ともなってくると、心臓が弱くなっており、また身体の治癒能力も低下していることから、そのほとんどが命を落としたと言えます。

以後、1872年(明治5年)に至るまで、この清水の舞台から飛び降りる人は絶えなかったそうです。

そこで、シビレを切らした当時の京都府が「飛び降り禁止令」を発令したようです。

この事実については、1872年(明治5年)当時の清水寺・舞台の写真が現存しており、舞台の端から端にはなんと!「竹矢来(たけやらい/犬のションベンを防ぐ柵)」が設置されていたことが明らかにされています。

「清水の舞台から飛び降りる」の言葉の使い方と使う場面

以上のことから「清水の舞台から飛び降りる」とは、「背水の陣」と似たような言い回しとなります。

つまり、以下のような状況を表す言葉ということになります。

  • もうこれ以上は逃げ道がない場合
  • 生きるか死ぬかの覚悟で1つの事に取り組む場合
  • 賭け事などで、人生を賭けた1発勝負(大博打)を打つ場合
  • 思いを寄せる相手に告白する場合

などです。

そして、使い方は以下のようになります。

「清水の舞台から飛び降りる思いでやってやる!」

「これが成就しなければ、本当に清水の舞台から飛び降りる!」

などです。

尚、清水寺の舞台の柱の本数や構造に関しては当サイトの以下のページにてご紹介しております。

京都・清水寺の舞台の柱には釘が一つもない?!「建てられた理由・歴史・高さ・材木・建築造り(懸造り)」

 

【補足】成就院日記「飛び落ち事件記録(公式発表分)」

  1. 記録期間:1696年から1702年
  2. 記録期間:1824年から1835年

1696年(元禄9年)

※「性別/年齢/生死/理由」で記載

1月:男性/16から17歳/生存/祈願成就

2月:男性/32から35歳/死亡

6月:男性/44から45歳/死亡

8月:男性/17歳/生存/祈願成就

11月:男性/生存、男性/30歳/死亡

1967年(元禄10年)

6月:女性/生存

1699年(元禄12年)

2月:女性/24から25歳の下女/死亡/

3月:女性/約20歳/生存/祈願成就

5月:女性/54から55歳・熟女/死亡

7月:男性/約20歳/死亡

8月:男性/職人の弟子/死亡

9月:男性/約40歳/生存

1702年(元禄14年)

4月:女性/19歳/生存/祈願成就

5月:女性/21から22歳の若妻/死亡

6月:女性/約50歳・熟女/死亡、女性/24から25歳/生存

9月:女性/28歳/死亡

11月:女性/37から38歳・程熟/死亡

1702年(元禄15年)

1月:男性/37から38歳/死亡

5月:男性/18から19歳/生存

6月:僧侶/年齢不詳/生存

7月:男性/23歳/死亡


合計:
性別:男性13人/女性10人
生死人数:生存者数10人/死亡者数13人

1824(文政7年)

5月:女性/奉公人19歳/生存/祈願成就

9月:女性/40歳・熟女/死亡/重病により

1827年(文政10年)

8月:男性/20歳代/生存

1829年(文政12年)

3月:僧侶/百万遍の弟子17歳/生存

8月:男性/下男22歳/生存/祈願成就

1830年(文政13年)

閏3月:男性/奉公人24歳/生存/重病および心願成就

1831年(天保2年)

1月:男性/下男の年齢不詳/引き留め成功

3月:男性/年齢不詳の丹波国出身・居候/生存/心願成就

8月:男性/町家の次男・年齢不詳/生存/心願成就

1833年(天保4年)

7月:女性/町家の粋な娘っ子19歳/生存

1834年(天保5年)

2月:男性/町医者の弟子23歳/生存/心願成就、男性/40歳/死亡、女性/織機職の23歳/生存/心願成就

5月:男性/34から35歳/死亡

7月:男性/24から25歳/生存

8月:旅の僧侶/27から28歳/生存

9月:旅の僧侶/38歳/生存

11月:男性/17歳/生存/心願成就

1835年(天保6年)

閏7月:男性/八百屋の従弟26歳/死亡/心願成就


合計:
性別:男性15人/女性4人
生死人数:生存者数15人/死亡者数4人

おわりに・・

辛いことがあれば、清水寺で祈願を真剣にして、努力を忘れないことです。

努力して自分自身を磨いて、自分のことをもっと好きになってあげればきっと、その願いは叶います。

ですので、「清水の舞台から飛び降りる」のは、くれぐれもコトワザだけに留めておきましょう。

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