京都・清水寺「大日堂」

スポンサードリンク

京都・清水寺「大日堂」

読み方

  • だいにちどう
創建年

  • 1534年
御本尊

  • (旧)大日如来坐像【重要文化財】/ 脇侍:弁財天(伝)
  • (新)大日如来坐像(陸前高田松原の松で造仏)
所在地

  • 〒605-0862 京都市東山区清水2丁目248

清水寺・大日堂の歴史・由来

大日堂は清水寺・宝性院の「境外塔頭(たっちゅう)」であり、正式には「真福寺(眞福寺)」の本堂です。

塔頭とは、寺院の中に建てられた墓塔や小さなお堂のことですが、大日堂は清水寺・宝性院の境内の外にあるので、「境外塔頭」と言います。

大日堂の創建や歴史についての詳細はわかっていませんが、かつては現在の上京区の中御門大路(なかみかどおおじ)と呼ばれた道沿いにあり、尊体寺(そんだいじ)という寺院だったようです。

中御門大路から現在の場所(東区)に移され、「真福寺(しんぷくじ)」と名称を改めたのが1534年(天文三年)で、この年が創建年とされています。

一時は廃れたものの、江戸時代の1830年~1843年頃に、一円という僧によって復興されました。

ちなみに同じころ、火災で焼失していた清水寺の伽藍の再建が、徳川家光公および東福門院の発願により行われていました。

清水寺と同じく、明治時代までは真言宗と法相宗の兼学で、現在は北法相宗の寺院となっています。

2012年に、東日本大震災で被災した松で作られた大日如来坐像が完成し、一時、清水寺の本堂に安置された後、2013年4月に大日堂に遷座され、現在の御本尊となっています。

清水寺・大日堂の御本尊

旧御本尊・木造大日如来坐像【重要文化財】

  • 造立年:不明(推定:平安末期)
  • 像高:約223㎝
  • 材質:ヒノキ材
  • 造立方法:寄木造、漆箔(漆を塗った上に金箔押し)
  • 重要文化財指定日:1975年6月12日

清水寺は明治維新まで真言宗と法相宗を兼学していたため、真言宗(密教)の仏である大日如来が、御本尊となっています。

現在は新しい御本尊が大日堂に安置され、以前のものは、現在は清水寺の宝蔵殿(非公開)に移されています。

 

旧・御本尊「木造大日如来坐像」は、12世紀中ごろの作品と推測されていますが、一説には空海(774~835年)の作とも言われています。

平安時代末期の作品らしい温和な表情でありながら、筋肉の描写や弾力を感じる腕の作りなどは、鎌倉時代の仏像に繋がる特徴です。

座高233cmという巨象で、金剛界の「智拳印(ちけんいん)」を結んでいます。

金剛界とは、密教における2つの世界のうちの1つで、大日如来の智慧(ちえ)は金剛(ダイヤモンド)のように硬く、決して傷つくことがないということを意味しています。

智拳印は数ある如来の印相の中でも金剛界の大日如来のみが組むもので、左手の人差し指を立て、その指を覆うように右手を軽く握る形です。

また、この大日如来坐像の台座の一面に、江戸時代中期の洛中の町名と、大日講中名・寄進者名が墨書きされています。

これは、「洛中霊場十二社寺」の第十二結願札所として、篤く信仰されていたことを示しています。


スポンサードリンク -Sponsored Link-






新御本尊・木造大日如来坐像

  • 造立年:2012年
  • 像高:約270㎝
    (光背まで含めると約300cm)
  • 材質:マツ材(陸前高田松原の倒木松)
  • 造立方法:寄木造、漆箔(漆を塗った上に金箔押し)

新しい御本尊の大日如来坐像は、清水寺の依頼で、京都伝統工芸大学校・仏像彫刻専攻の教授や34名の学生が、東日本大震災の津波により倒された松30本を使って造立しました。

お姿は、旧・御本尊を模しています。

この新しい大日如来坐像の造立の過程では、「ひとノミひと削り活動」という活動が行われ、全国の1万1113人の参加者が、像にノミを入れました。

「ひとノミひと削り活動」は、8月下旬の岩手県陸前高田市に始まり、塩釜市、神戸氏、大阪市などに制作中の像を運んで、参加者にノミを入れてもらう活動で、来日したブータンのワンチュク国王・ペマ王妃も参加しています。

こうして、被災者を始めとする人々の祈り、悲しみ、感謝などを受け取りながら作製された新しい御本尊は、約1年をかけ、2012年3月11日に完成しました。

像の胎内には、像の制作に加わった被災者の名札が納められています。

この新しい御本尊は、上述の通り、一時は清水寺の本堂に奉納され、2013年3月に、晴れて大日堂の御本尊として迎えられました。

清水寺・大日堂と「陸前高田復興プロジェクト」

陸前高田・奇跡の一本松

実は、この大日堂の御本尊の新調は、東日本大震災より前に計画されていました。

しかし、まさに作業を始めようというところで、大震災が起こったのです。

当初はヒノキ材を使う予定でしたが、被災地の方々のために何かしたいという京都伝統工芸大学校の先生や学生の思いから、「陸前高田復興プロジェクト」が立ち上がり、「奇跡の一本松」が有名な陸前高田の高田松原の、津波で流出した松を使うことになりました。

しかしこの松の木は傷だらけである上、海水に浸かってしまっており、彫刻の素材としては決して適したものではありませんでした。

木を乾かしたり、安全確認のための検査を待ったりして、やっと制作を始められたのは2011年9月でした。

その後も通常彫刻に用いる素材ならば起こらないはずの問題が次々に生じ、その度にやり直しをしながらも、何とか予定通り、2012年

2月に間に合わせることができたということです。

大日如来とは?

大日如来は密教の思想から生まれた如来です。

密教では大日如来は宇宙そのものであるとされ、すべての仏の頂点に立つ存在です。

また、仏だけでなく、すべての生き物は大日如来から生まれたともされています。

大日如来には、上述の「金剛界」の大日如来と、「胎蔵界(たいぞうかい)」の大日如来がおり、金剛界は煩悩を打ち砕く大日如来の堅い智慧、胎蔵界はすべてを包み込む大日如来の慈悲を表します。

如来は悟りを開いた存在なので、普通は装飾品を付けない質素な身なりで表現されますが、大日如来は髪を結い上げて宝冠をかぶり、首や腕に装飾具を付けた姿で表されます。

これは、釈迦が悟りを開く前の王子時代を表しているとされ、如来自らが救いが必要な人々が住まうこの世まで下りてきていることの象徴であるとも言われています。

大日堂の大日如来坐像も宝冠を被っており、その下からは黒い髪がのぞいています。

大日如来は普段は柔和な表情をしていますが、説法をしても聞く耳を持たないような人がいる場合には、怒りの表情の不動明王として現れ、人々を教化するといいます。

また、大日如来像は基本的には坐像であり、これは仏、そして世界の頂点に君臨する不動の存在であることを表しているとも言われています。

大日如来はすべての仏の中心・根本なので、ご利益も一般的には「現世利益」「諸願成就(所願成就)」など、包括的なものとなっています。

清水寺・大日堂の場所

大日堂は、松原通(清水坂)沿いにあります。(地図上には「眞福寺」と表示されています。)

清水寺・仁王門から清水寺の境内を出たら、道なりに2分ほど歩くと到着です!

スポンサードリンク -Sponsored Link-

    

当サイトの内容には一部、専門性のある掲載があり、これらは信頼できる情報源を複数参照し確かな情報を掲載しているつもりです。万が一、内容に誤りがございましたらお問い合わせにて承っております。また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。

関連コンテンツ