京都・清水寺「北総門」【重要文化財】
創建年
- 不明
再建年
- 1631年~1639年
- 2010年(平成22年)
建築様式(造り)
- 一間潜付薬医門
- 切妻造
- 一重
大きさ
- 横幅:約6.5m
- 間口:約4.12m
- 高さ:約5m
- 潜り戸:約1.5m
屋根の造り
- 本瓦葺
重要文化財指定年月日
- 1966年(昭和41年)6月11日
清水寺・北総門の読み方
清水寺の境内には難しい漢字の表記のお堂や御本尊がありますが、北総門は「きたそうもん」と読みます。
清水寺・北総門の歴史・由来
北総門は「成就院(じょうじゅいん)」の正門として造営されています。
「成就院」とは、応仁の乱で全焼しその後の清水寺の再建に尽力した「願阿上人(がんあしょうにん)」が寝泊りした場所です。
現在の成就院は清水寺の本坊(その寺の住職の住居)として存在しています。
実は、清水寺の境内は創建から現代に至るまでに記録に残っているだけで実に数十回以上も全焼しています。
全焼した記録の内でもっとも新しい記録となるのが、1629年(寛永6年)の大火事になります。
現在見ることのできる姿は、この大火事後の1631年(寛永8年)~1639年(寛永16年)の間に再建された時の姿となります。
近代に差し掛かっては2010年(平成22年)に門全体の解体・修復工事が執り行われています。
清水寺の方角と門の名前
清水寺の北総門は境内の仁王門をクグり直進せずに、スグ左側へ進んだ先に位置します。
そのため、勘の良い方が北総門まで訪れたのであれば少し疑問が湧くかも知れません。
その疑問とは「北総門」の名前に「北」が付いてるからです。つまり「方角」についてです。
通常、仁王門をくぐって直進したその方向が北側だと思います。
しかし、京都・清水寺は仁王門のある方角が「西」になり、本堂の方角が「東」になります。
成就院や北総門は「北」になり、つまりは「北の方角にある総門」と言うことで「北総門」の名前が付されています。
清水寺・北総門の建築様式(造り)
清水寺の北総門は「薬医門(やくいもん)」という造りで造営されています。
「薬医門」の特徴としては「表側の主柱(鏡柱)」と「裏側の控柱」の上に、本を見開いて覆い被せた形状の「切妻造りの屋根」が乗ります。
さらに入口となる方向に屋根が垂れ下がる「平入(ひらいり)」の門になります。
また向かって右下に脇戸(潜り戸/くぐりど)が設置されています。
この脇戸(潜り戸)が薬医門の大きな特徴であり、急病にかかっても医者(薬医)が簡単に入ってこれると言った意味合いがあります。
実は「薬医門」のには他にも別称があり、通常は前の2本の柱(主柱)の方が太く、屋根がやや前方に垂れ下がって造られていることから、矢を防ぐための「矢食い(やぐい)」門」とも呼ばれています。
清水寺・北総門の見所(見どころ)
門内の3つの石碑
門を潜ると「土台」があり、その上に「大きな3つの石碑」が立っているのが見えます。
この石碑は「弔詞碑(ちょうじひ/死者を弔う言葉が書かれた石碑)」と呼称される石碑であり、以下の人物の弔詞碑になります。
- 成就院の24代目住職「月照上人(げっしょうしょうにん)」
- 月照上人の弟25代住職「信海上人(しんかいしょうにん)」
- 西郷隆盛
1853年(嘉永6年)浦賀にペリー提督が来航し、幕府が開国を決断する中、それに反対しようとする「攘夷派の藩士」たちが行動を起こします。
この騒動は、都の朝廷までもを巻き込み「尊王攘夷運動(そんのうじょういうんどう/天皇中心の政治を考える運動」が勃発します。
そしてなんと!月照上人と信海上人も、この攘夷派運動に加担する事になり、「攘夷派の藩士」や「貴族たち」と連絡を取り合い、盛んに密会を行います。
その密会した相手の1人が薩摩藩の西郷隆盛です。
その後の1858年から翌年にかけて、江戸幕府は攘夷派を厳しく取り締まるため「安政の大獄(あんせいのたいごく)」と呼称される御布令(法律)を打ち出し、次々に攘夷派が捕縛され処刑が実施されました。
そして幕府の捜査の手は月照上人、信海上人、西郷隆盛にも及びました。
この時、月照上人だけは捕縛され京都を追われる(追放)ことになります。
この時、月照上人はおそらく最終的には処刑される運命を悟り、西郷隆盛とともに鹿児島湾に入水し、その生涯に幕を下ろすことになります。
しかしなんと!この時、西郷隆盛だけは奇跡的に救出され、明治時代まで生き延びることになります。
一方、一時的に捕縛を免れて(まぬがれて)兄の後を継いで成就院を守っていた信海上人も幕府によって捕縛され、間もなく監獄の中で獄死することになります。
以上、つまりこれらの石碑は上記の御3方を祀った石碑と言うことになります。
弁天堂
この北総門の東側には弁天池と呼称する池があり、この池の中央には「弁天堂」と呼ばれる小さな堂舎が建っています。
中には弁天堂と呼ばれるだけあって、金運や蓄財のご利益があるとされる「弁財天」が祀られていますので、この北総門へ訪れた際は是非!この弁天堂へも参拝してみてください。
なお、弁天堂の入り口は北総門側ではなく、三重塔裏手となる田村堂や朝倉堂の裏手になります。
清水寺・北総門の場所
清水寺の総門は境内の田村堂と経堂の間の参道を直進すれば目の前に見えてきます。
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