本堂の南側にある轟門をくぐり、回廊を抜けると、左手(朝倉堂の前)に何やら大きい足跡が型どられた石が出現します。
これが今日、「仏足石(ぶっそくせき)」と呼ばれるものです。
仏足石とは?
仏足石とは、仏足石信仰による産物であり、俗に釈尊(釈迦)の足跡と云われる。
しかしながら、清水寺の仏足石は釈尊以外にも、別の人物の名前も挙げられていることから、実際、誰の足跡なのかは判然としない建前がある。
清水寺の仏足石
- 高さ約75㎝
- 横幅約110㎝
- 削られた断面に彫り込まれた足形(2ちゅ)の大きさ:丈52㎝
仏足石のご利益
この仏足石を拝むことによって過去未来現在の罪障がことごとく、純粋無垢な”少女”の心💖のように”少女”だけに綺麗さっぱり”消除(しょうじょ)”されると云われる。
現在、修学旅行生たちの間では、頭がよくなって学力向上するとして人気を集めている。
仏足石に描かれた模様の正体
この仏足石の足型をよく見ると、何か神秘的尊さを秘めているような“11の模様”が浮かび上がっているのがよくわかります。
ここでの11の模様とは仏足石の中に刻まれている摩訶不思議な11個の模様のことで、俗に釈迦の妙相文様(みょうそうもんよう)とも云われるもの。(後述)
清水寺の仏足石の足跡の人物の正体って?
この仏足石の足跡の人物の正体についてですが、実は現代に至っても不明のままだそうです。
つまり、誰の足跡かは一切、不明だということになりますが、これについてはいくつもの説が伝承されており、主に以下↓のような説になります。
清水寺の仏足石の足跡の人物の正体【その1】「お釈迦さま」
一説では、お釈迦様が石の上から説法をされたあと、その足跡が石にくっきり残ったものだと考えられています。
清水寺の仏足石の足跡の人物の正体【その2】「藤原景清(平景清)」
平安時代末期に、平氏に仕えて源氏と戦い、源平合戦最後の戦いである、壇ノ浦の戦いで敗れたあと捕らえられ、最後は絶食死したと伝えられている、「藤原景清(平景清)」の足跡ではないかとも言われているようです。
ちなみに「藤原景清(平景清)」は通称「悪七兵衛(あくしちびょうえ)」の名前で有名な人物でもあります。
主家滅亡後は、源氏の総大将「源頼朝」の暗殺をもくろんで東大寺・転害門や清水寺に潜んで参拝に訪れた頼朝を狙った折、捕縛されて落命したと伝えられています。
往時は平景清の足跡とされいた?!
清水寺に平景清が居たことが広く知れ渡ると、往時は本当に平景清の足跡と信仰されていたようです。
なんでも平景清の神がかった剛勇ぶりにあやかって、足腰に自信のない人々が数百年もの間、この足型を撫でまくったとかで、実際のこの石を見れば分かるのだが、刻まれている模様がすり減っている。
利益を求めた人々は、足型を撫でた後、その手で自分の足腰を触るなどして利益にあやかろうとしたとか。オホ
清水寺の仏足石の足跡の人物の正体【その3】「武蔵坊弁慶」
また、この足跡ですが、別名「弁慶の足跡」とも呼ばれ、近くにある「鉄下駄」や「鉄錫杖」とともに、弁慶のものではないかとも云われているようです。
確かに武蔵坊弁慶と言えば、まるで巨人のような屈強な身体をしており、だとすればこの足型が弁慶のものだったとしても納得できなくもありません。
実のところ一般的には「お釈迦様の足跡」で知られている!!
ここまで引っ張っておいてヒドイとは思いまするが、実は一般的に仏足石と言えば「お釈迦様の足跡」で認知されています。
これすなわち、ここ清水寺だけに存在する特別な足跡ではないということ。
えぇっ?!!清水寺には、まだ、仏足石があった!!!
この京都・清水寺には他にも、昭和59年の清水寺開創1200年を記念して建てられた大講堂内に「約4mもの巨大な仏足石」があります。
この仏足石がある場所は「清水寺・大講堂の多宝閣」で、黒い大理石に刻まれた仏足石が、床面に祀られています。
仏足石の図案の企画者は仏師でもあり東京芸術大学名誉教授の「西村公朝」氏です。
この図案は、仏が持つとされる「11の徳(十一霊相)」になぞらえて描かれています。
仏足石の「足の裏側の模様」の意味
カカト部分
「象牙華」「小宝輪(梵王頂)」
中央部
「千幅輪(せんふくりん)」
下記、金剛杵の上の部分
「月王」
お骨コリコリの部分
親指から小指に向かって順番に・・「金剛杵」「双魚」「通身」「花瓶」「法螺(ほうら)」
足指部分
「卍字華文(まんじけもん)」「網縵(もうまん)」
「11の徳(十一霊相)」各部の解説
卍字華文
「まんじけもん」と読みます。意味合いはお釈迦様(仏)の無限の慈悲と宇宙の果てまでも照らす光です。
網縵
「もうまん」と読みます。これは水鳥やカエルが持つ”水かき”を意味します。すなわち”漏れなくあらゆる衆生を救済する”の意味があります。
通身
細長いヒモのような部分です。別名で「六神通(ろくじんずう)」のことを指します。六神通とは、仏が持つとされる超人的な6種類の神通力のことです。
金剛杵
「こんごうしょ」と読みます。金剛杵と言えば仁王さんの持物として知られている「ダイヤより硬いとされる武器」です。意味合いは「お釈迦様に意志はダイヤとは比較にならないほど硬く、その硬い意志を用いてあらゆる煩悩を打ち祓う」といったことです。
双魚
魚の2つのお目目のことを意味します。魚はお目目が2つあるが「双方の目を閉じない=果てなき修行者」を意味します。お釈迦様もこの徳を持っているとの意味合いがあります。
花瓶
「けびょう」と読みます。これは「仏足石だけで仏の全ての意志(知恵)や全身を示す」などの意味合いがあります。
法螺
何かの合図に吹き鳴らす「法螺貝(ほらがい)」のことです。「お釈迦様の教えは法螺貝を吹き鳴らすが如く、すべての衆生の耳に漏れなく入り、救済へ導く」といったことを意味します。
月王
剣のような武器の下に三日月のようなマークが入っている模様です。これは「お釈迦様の教え(説法)は昼夜問わず、いつでも誰にでも行われる」との意味合いがあります。
象牙華
象牙とは、ご存知の通り、像の牙です。これは像が動物の王であると踏まえて、仏教の仕来りとなる「三宝」が像と比例するくらい重要であることを意味しています。
小宝輪(梵王頂)
仏教の守護神であり神々の王でもある「梵天(ぼんてん)」の”頂”つまり、冠を意味します。お釈迦様(仏)でさえ、三宝に従っている。すなわち三宝の重要さや仏の徳を示しています。
千幅輪
「せんふくりん」と読みます。これは仏法が世界を掌握することを意味しています。仏法を衆生が心から信仰する世界であれば、悪がはびこることはないことを意味しています。
日本最古の仏足石とは??
このような仏足石は日本全国の寺院やそれに付随する場所に約300以上は存在すると云われています。
その中でも日本最古の仏足石と呼ばれているのが、奈良薬師寺境内に存在する仏足石で、なっなんとぉぅっ!753年(天平勝宝5年)に造立されたようです。
清水寺の仏足石の場所
舞台への入り口となる轟門前(拝観券売り場の前)に位置する「朝倉堂の前」
清水寺・善光寺堂もしくは馬駐の奥の大講堂(寺務所隣接)
清水寺には足を護る「足腰守」がある❗️
そう云えば、清水寺で製頒されているお守りの中に「足腰守」と云ぅのがあるが、これも仏足石のご利益を秘めたものなのかもしれなぅぃ。きゃきゃ