京都・清水寺「木造・勢至菩薩立像(伝) 」「木造・観世音菩薩立像(伝)」【重要文化財】
造立年
不明
推定:1189年(文治5年/鎌倉時代)
像高
勢至菩薩立像(伝):104cm
観音菩薩立像(伝):105cm
造立方法
割矧造り
作者
運慶(伝)
重要文化財指定年月日
1976年(昭和51年)6月5日
安置場所
京都・清水寺「阿弥陀堂」
「伝勢至菩薩立像」「観世音菩薩立像」の読み方
清水寺の境内には読みにくい名前の堂舎や仏像がありますが、「勢至菩薩立像」は「せいしぼさつりゅうぞう」と読み、「観世音菩薩立像」は「かんぜおんぼさつりゅうぞう」と読みます。
「伝勢至菩薩立像」とは?
勢至菩薩は阿弥陀如来の右側にいる脇侍(きょうじ/配下)です。
後述する観世音菩薩もそうですが、この2体は御本尊の阿弥陀如来と合わせて本来は3尊で祀られます。
阿弥陀如来を交えた3尊の姿は仏教における最高の形でもあります。
- 阿弥陀如来はより多くの衆生を救済する方法を考える。
- 勢至菩薩は智慧(ちえ)の力で衆生を救済する。
- 観世音菩薩は大いなる慈悲の力で衆生を救済する。
勢至菩薩は「宝瓶(ほうひん)」という瓶を持っていることから、一説ではペルシャから伝来したとされ、ゾロアスター教の女神「アナーヒター」のことだとも云われています。
「観世音菩薩立像」とは?
観世音菩薩とは、よく一般的に耳にする「観音様」のことです。
清水寺の御本尊も千手観音なので「観音様」になります。
清水寺の御本尊が33年にたった1度だけ御開帳されるのは、観音様が衆生を漏らさず救うために33の变化する身体をもっていることに由来するためです。
上述の勢至菩薩とほとんど同じ姿なので、見分けがつきにくいのですが、観世音菩薩は「頭上に化仏が乗った宝冠」が乗っています。
一方、勢至菩薩は頭上には「水瓶が乗った宝冠」を乗せています。
観世音菩薩の宝冠の化仏はご主人様である阿弥陀如来の化仏を乗せて、忠誠を誓っています。
勢至菩薩は水瓶の中に「智慧の水」をしこたまブチ込んでいます。
これらの阿弥陀如来・化仏の仏力や、水瓶の智慧の水の力で衆生を漏らさず救うのです。
「伝勢至菩薩立像」「観世音菩薩立像」の特徴・見どころ
この2体の仏像は「勢至菩薩立像」「観世音菩薩立像」と伝わっていますが、実際は「月光菩薩」「日光菩薩」であることが明らかにされています。
しかし敢えて(伝)と付けられた理由は、清水寺に代々「勢至菩薩立像」「観世音菩薩立像」として伝わっているためです。
この2体の仏像の特徴として、特に注目すべき点は、天衣(着衣)です。
2体とも衣の動きが自然に表現され、躍動感がある中に、どこか穏やかさと落ち着きがあります。
しかし躍動感ある天衣の様相とは相反する形で、顔面の顔相は落ち着きを保っており、気品が感じ取れます。
このような写実性(リアリティー/現実味のある風合いの出し方)を用いた造立方法は、主に平安時代後期から鎌倉時代の仏像によく見られる大きな特徴でもあります。
ちなみにこの2体の仏像は阿弥陀堂の御本尊「阿弥陀如来座像」の脇侍になります。
造立方法
造立方法としては、「割矧造り(わりはぎづくり)」と呼称される造像方法です。
「割矧造り」とは?
割矧造りとは、広義で言えば「寄木造り」になります。
少し専門的に細かく言えば、1本の木から切り出す「一木造り(いちぼくづくり)」と、複数の木から切り出す「寄木造り(よせぎづくり)」との過程に生まれた造立方法です。
- 一木造り→割矧造り→寄木造り
割矧造りでは、1本の木からある程度、造像した仏像を2つに割いて、内側を削って軽くする造立方法です。
主に平安時代初期に用いられた造立方法で、目的は「重量を軽くすること」です。
以降、鎌倉時代の初期までにさらに造立方法が進化して、今度は首から上の部分(頭部)までもを割いて内刳(うちぐり/内部を削りとる)する方法が採られました。
この2体の仏像もまさに、この「割矧造り」で造立されており、よく見ると身体の中心ラインから左右と、首の部分で分かれており、内部は空洞になっています。
2体の仏像が運慶作とされた理由
これら2体の仏像が運慶作とされた理由は「浄楽寺(神奈川県)」に安置される1189年(文治5年)運慶作の「阿弥陀三尊」と姿形・特徴が類似しているためです。
清水寺・勢至菩薩立像・観世音菩薩立像の安置場所
勢至菩薩立像・観世音菩薩立像は清水寺の阿弥陀堂に安置されています。
阿弥陀堂は境内・本堂「舞台」を抜けた先に位置します。
- 清水寺・境内MAPはコチラ
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