京都・清水寺「馬駐」【重要文化財】
創建年
- 不明
再建年
- 1467年(応仁元年)から1477年(文明9年)
- 2010年(平成22年)
建築様式(造り)
- 切妻造
- 一重平屋建て
屋根の造り
- 本瓦葺
- 猪子扠首付き(妻側屋根)
※化粧屋根裏造り
大きさ
- 桁行五間(横幅:約10.5m)
- 梁間二間(奥行き:約5.1m)
- 高さ:約5.2m
重要文化財指定年月日
- 1952年(昭和27年)3月29日
清水寺・馬駐の読み方
馬駐「うまとどめ」
漢字での書き方
漢字では「馬留め」や「馬留」とも書かれる。
ところで・・「馬駐」とは?馬駐の役割
「馬駐」とは、馬を留め置く場所のこと。
例えば、平安京から乗馬や車(牛車)で訪れた公家や武士、高官たちはこの場所で下馬して舞台の方まで歩いていった。
現在は無いがおそらく伊勢神宮のように「下馬」と書かれた看板が立っていた姿が想像につく。
馬駐は著名な世阿弥の謡曲「湯谷(熊野)」にも登場する
このことは室町期の有名な能の第一人者である世阿弥(ぜあみ)も代表作の1つ「湯谷(熊野)」にて次のように記している。
「子安の塔を過ぎゆけば、春の暇行く駒の道。はや程もなく、これぞこの車宿り、馬留め。
これより花車おりゐの衣、播磨潟 飾磨のかちに(街路)清水の。御前に念誦して母の祈誓を申さん。」
この中で注目したいのが、『おりゐの衣』の一文。
おりゐの衣とは、『下り居(おりい)の衣』と書き、意味合いとしては「馬や車などから下りて地面に座ること」となる。
つまり、下馬したがゆえ、着衣が地面にスレた様子が伝わってくる。
清水寺・馬駐の歴史
清水寺の馬駐の創建は不詳とされる。
現在見ることのできる馬駐は1467年(応仁元年)から1477年(文明9年)の間に再建されたものと見られているが、佇まいを見るかぎり江戸時代の特徴も濃く出ているので、おそらく江戸期に改修されたものと思われる。
室町期に制作された清水寺参詣曼荼羅にも馬駐が描かれているが‥‥‥若干、位置が異なる気がせんでもなぅぃ。
‥‥‥ドコか分かるぅぃ?
もしくは描くの忘れとって「あ!」‥‥となったけど、「まぁいっか」で締めくくって終わったのが、⬆️の状態?
このように奇跡的に難を逃れた室町時代の貴重な遺構の1つであることから1952年(昭和27年)3月29日に国の重要文化財の指定を受けています。
馬駐は位置的に境内入口にあって僧坊などと離れたいたことが幸いして、類焼から逃れたのだと云ぅ推察が成り立つ。
清水寺・馬駐の建築様式(造り)
馬房内の仕切り木の頭上に仕込まれた「木鼻(きばな)」の白塗りが目を惹く。
妻側の軒下には猪子扠首(いのこさす)が用いられるなど、簡素かつ質素ながら諸所に古式を残す。
天井は馬小屋らしく屋根の裏側が筒抜けで見通せる質素な「化粧屋根裏」と、馬房の奥壁には中備として「舟肘木(ふなひじき)」を据える。
土間敷きは踏襲されるが、手前の柵ごしの床にはコンクリート材が敷かれ補強されてい‥‥‥申す。…発動見送り
正式には現在見ることのできる馬駐は2010年(平成22年)に解体・修繕された時の姿です。
馬駐の平成の大改修での修理内容
清水寺では2008年(平成20年)から2020年12月までの期間、過去、最大級ともいえる規模の「平成の大修理」が実施された。
この平成の大修理の中に馬駐も含まれており、内容としては建物が劣化していたことに加え、地盤沈下により傾いていたことから、一度すべて解体したのち、建築当初の姿に復元されてい‥‥‥申す。ガキェっ
馬駐の工事期間
2008年(平成20年)8月~2010年(平成22年)11月
工事内容:「解体修理」
- 破損部分の補修
- 後世の改造部分の痕跡をもとに以前の姿に戻す修理(復原補修)
- 地盤沈下防止対策として基礎の新設
馬駐の特徴
「馬駐」という建造物としては、日本全国でも類を見ない貴重な遺構となる。増して室町期造営のものが現存しているとなれば、その価値は計り知れなぅぃ。
馬駐は住居で用いるような通例の一間の寸法取りはされておらず、馬をつなぎとめることを主たる目的としているため、間口が広く取られているのが大きな特徴となる。
馬は人の倍ほどの視野を有すると言われ(馬の眼球は直径約4.5cmで人間の2倍)、競馬場でもゲート入りの際に暴れる馬がいるのは、馬が狭所を怖がる性質があることに起因する。
そういった配慮もあったのか、馬駐では5室の部屋割りが成され、1室の間口が約190㎝と、当時の馬の体型から想定すると倍以上の広さがとられていることになる。
また、その奥行きも229㎝と記録にあることから、これなら馬1頭を長時間、繋いでおいても多少の窮屈さはあるかもしれないが、暴れて破壊する可能性を低く留めることができる。
5室しかないのは少なすぎ?
‥‥‥と、清水寺へ詣でる参拝客の数と比較すればこのような疑問がよぎる。
明治時代以前は車ではなく馬がメインとなる交通手段であった状況を踏まえると、5頭というのは少ないといえば少なくも感じる。
この有力な理由として、それなりの身分の者しか馬を所有していなかったことが挙げられる。
たとえば、京の都で馬を飼うためには遠方から馬の餌を仕入れてこなければならず、馬を飼う場所の確保も必要となる。
また遠地から来訪するにしてもそれだけでも費用がかさむことから、馬で清水寺へ参拝に訪れていた人物がどのような身分の人物であったのかが想像できるだろぅ。
そしてさらに驚くのが、そのような身分の高い人物たちでも、わざわざ下馬して本堂まで歩いていったワケであるからして、往時の清水観音の信仰の度合いというものには、まったく以って頭が下がる思いである。
清水寺・馬駐の見どころ・特徴
清水寺の七不思議💘「金具!鐶(かん)」
実は、ここ馬駐は「清水寺の七不思議の1つ」と云われる。
その理由となるのが、馬をつないで置くための手綱をかける金具(鐶)の方向が2つだけ下を向いているから。
大抵の場合、馬駐の金具は少し手前傾ける形で設置されるのですが、清水寺の馬駐はなぜか2つだけ、しかも別の柱に1つずつ下向きの金具が付けられてい‥‥‥申す。ヒヒィィンっ
下向きの馬の金具の位置(場所)
2つ目:4本目の柱の右側面下方
そして現代に至っても原因が判明していないことから「清水寺の七不思議」と云われる。
馬駐前の記念写真屋(フォトサービス)も忘れずに!
万年ともいえるほど、この馬駐の前にはフォトサービス(記念写真撮影したくて仕方なぅぃの!しまくり屋っ💕 ※清水寺 写真屋)‥が小屋を構えてい‥‥‥申す。カシャカシャっ (シャッター切音を表現)
聞きたくて喉から出かかっている質問の1つとして、「地主神社ドコですか?」などといった質問にも気軽に応えてくれるのが嬉しぅぃ💕
ちなみにぅぃ、記念写真は1枚1300円!団体旅行などは特にオススメ💘是非に!
なお、清水寺での行事やイベントがある時は、馬駐の前に受付のテントなどが設営されることがあり、ジックリと見学できない場合があるので要注意。
清水寺・馬駐の場所(地図)
清水寺の馬駐は善光寺堂の向かい、仁王門の手前左脇に位置する。
ちなみにぅぃ、明治末に清水寺境内は整備されているが、この馬駐は10m後方に建っていた。
清水寺境内・周辺の観光スポット一覧
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