京都・清水寺「三重の塔」【重要文化財】
創建年
- 847年(承和14年/平安時代)
再建年
- 1632年(寛永9年/江戸時代初頭)
- 1987年(昭和62年)
大きさ
- 初重:一辺5.2m
- 二層目:一辺4.6m
- 三層目:一辺4m
高さ
- 約30.1m
※基壇を含めた高さが30.1m
建築様式(造り)
- 三重・仏塔(供養塔)
- 方形造り
※塗装は総丹塗り
屋根造り
- 本瓦葺
重要文化財指定年月日
- 1966年(昭和41年)6月11日
発願者
- 葛井親王
京都・清水寺「三重塔」の歴史
三重塔が創建された経緯(理由)
平安遷都した桓武帝の第二皇子である嵯峨天皇は安産の霊験で知られた清水観音に対し、自らの皇子誕生を祈願した。
その後、安産にて無事に皇子を授かったので、異母兄弟の弟となる葛井親王(かどいしんのう)へ勅命を下し、清水寺境内に仏塔造営を発願する。
そして、847年(承和14年/平安時代)、葛井親王は事なく三重塔を創建した。
葛井親王がどれ程の思いを込めて発願に至ったのか、その熱つき思いが込められた仏塔となる。アチっ!
三重塔の正式名(別名)
上記のように安産にて皇子を無事授かった嵯峨天皇の故事を鑑みて、この塔は「子安の塔」と命名された。なお、鎌倉時代に編纂された平家物語には「児安の塔」と記されてい‥‥‥申す。グゥォッヘギャっ
つまり、子安の塔はかつて、2基あったことになる。
江戸時代に再建される!
三重塔は創建後、星霜経ながら幾度かの火災に見舞われ、都度、再建が繰り返されてきた歴史を有するが、現在の塔は1632年に再建された姿。
1629年(寛永6年)に清水寺は大火災に見舞われ、境内は灰燼。しかし、仁王門、馬駐、鐘楼は何とか焼亡を逃れてい‥‥‥申す。..ちょぃ休憩
なお、焼失後間もなくとなる1629年(寛永6年)に徳川家光公の妹「東福門院(水尾天皇の嫁はん)」が境内再建を発願し、時の将軍・徳川家光公によって幕府主導で再建されてい‥‥‥ます。(フェイント)
昭和時代の解体修理で極彩色&丹塗り(朱色)が施される!
実は江戸再建期以降の三重塔は彩色を施さない、白木のままで修繕のみが繰り返されてきた経緯があり、1984年(昭和59年)〜1987年(昭和62年)にも2層目と3層目の解体修理が実施される運びとなった。
この解体修理では部材の一部に極彩色が施されていた痕跡が見つかり、江戸再建後は極彩色で丹塗りが施されていた事実が明らかにされた。
そこで有識者などを見解を交えて話し合った結果、江戸寛永再建後の姿に戻す方向で話がまとまり、朱色の総丹塗りや桃山文化を象徴する鮮やかな極彩色文様が施された。
これが現在の三重塔の姿となる。
なお、この三重塔の江戸期復元工事がキッカケとなって調査が実施され、これに続く平成の大修理では以下の建造物群が江戸寛永期再建後の極彩色かつ、丹塗りを施した姿で復元される運びとなった。
⬆️1984年以前の彩色が施されない三重塔の姿(画像は京都新聞より)
【補足】平成の大修理によって江戸再建時の姿に戻された御堂一覧
- 1994年(平成6年):西門
- 1996年(平成8年):阿弥陀堂
- 1999年(平成11年):鐘楼
- 2000年(平成12年):経堂
- 2003年(平成15年):仁王門
- 2005年(平成17年):田村堂
- 2013年(平成25年):子安塔
- 2017年(平成29年):奥の院
江戸時代の三重塔
ちょぃと下掲画像をご覧くだせぇ。
これは1548年(天文17年/室町時代)に描かれた「清水寺参詣曼荼羅」と称される絵図になる。清水寺境内入口あたり(絵図左上)に三重塔が上下に2基、並んでいるのが分かりいただけるだろぅか。
この2基の塔こそがまさに現在、三重塔と子安塔と呼ばれて親しまれている塔そのものであり、いずれか一方が三重塔になるか、お分かりになりますかぃ?
‥‥‥正解はコッチ1.2.3‥⬇️
つまり、左上隅に建つ塔が三重塔になるのだが、ではその下に見える三重塔は何?‥‥という疑問にさしあたる。
実はこの塔こそが現在の子安の塔となる。
子安塔はかつて、上掲画像に描かれるようにその下側に描かれた塔になる。1.2.3‥⬇️
清水寺・三重塔の建築様式(造り)
この三重塔は1632年(寛永9年)、従来の古様式に基づいて再建された仏塔で随所に安土桃山様式を残す。
四辺の柱の昇竜・降龍
まず、四辺の柱には「昇り龍」と「降り龍」が描かれており、その他は以下のような特徴が挙げられます。
摩竭魚が描かれている?
また斗の上部の垂木を支える桁(丸桁/がぎょう)には「摩竭魚 (まかつぎょ)」と呼ばれる空想上の海の巨大魚が描かれおり、ここにも火除けの呪い(まじない)じみたものが感じられます。
下から上へ向かって細くなる塔身
高さも然ること事ながら、逓減率(ていげんりつ)の概念を持ち出した場合、初重から塔頂までAラインの塔身で、遠くから見ると背が高く、君の涙袋のように美しく見える。
つまり、下層から上層へ向けて塔身が小さくなっていくように設計されている。
逓減率とは、塔身全体を遠距離から観た時の形状のことであり、時代を経るごとに塔身の姿が均一に棒状になっていくのが通例です。
しかし、この三重塔は下層から上層に向けて塔身が細長く造られ、高さがあるように見えます。
つまり二等辺三角形の形状となり、これは古い様式を踏襲(受け継いで)して造営された証拠の1つとして捉えることができます。
江戸時代の刻銘
この他、1987年(昭和62年)に執り行われた解体修理の際、屋根上の巨大な金属棒となる相輪(そうりん)の上部である「龍車(りゅうしゃ)」や、下部にあたる「覆鉢(ふくばち)」の中に願文が書かれた墨書が発見されており、その墨書には「寛永九年 壬申 九月 拾三日」の記述が見つかっています。
この墨書の内容を事実とするのであれば、1632年(寛永9年)9月に再建工事が行われたこととなり、つまりは寛永期再建説の有力な証拠ともなります。
長押や台輪の絢爛豪華&緻密・繊細な極彩色
三重塔の極彩色の文様や飾り金具などの装飾は土桃山時代から江戸時代初期の特徴を色濃く踏襲するものであり、四辺を渡す横木となる長押(なげし)と台輪(だいわ)に描かれる。
これらの装飾は三重塔ひいては清水寺のシンボルとも成り得るほどのものであり、かの日光東照宮造営に引き継がれる彩色のプロトタイプとも言えるほどの出来栄えをお目にかけられる。
なお、三重塔の飾り金具や、極彩色の装飾は各層ごとに文様が異なってい‥‥‥申す。パギョっ
各層・共通の文様
※以下画像は実際に三重塔の塗装作業をされた川面美術研究所より
金剛盤に宝珠
摩竭魚
初重
台輪
出八双卍くずし(ではつそう まんじくずし)の円龍※台輪の飾り金具
「向かい蝶」
西洋の宮殿や衣装に見られるような意匠。異国文化で華やいぎ、数寄や茶道が生まれた安土桃山時代の趣が感じられる。
⬆️下側が長押。その上に台輪を乗せて長押を補い荷重を受ける。この配置は装飾が異なるのみで角層まったく同じ。
長押
入八双若芽唐草(はっそうわかめからくさ)
真っ黒クロ助かつ、真っ暗くら寿司な黒色の物体は「長押の飾り金具(六葉釘隠し)」 ドッチか1つにせぃ!浮気者!
四弁羯磨繋(かつまつなぎ)※長押
二重
台輪
菱繋壱重襷
出八双瑞雲丁子車
長押
二重花菱七宝繋
入八双若芽唐草
三重
台輪
七宝連続
出八双鉄線唐草
長押
若芽花菱
入八双若芽唐草
三重塔の高さの比較
三重塔の高さは基壇から塔頂まで約31メートルを誇り、これは国内の三重塔としては最大級となる。
標高110mの高台に築かれていることから、見上げる格好となり、より一層、背高に見える。
京都の市街地からその存在が確認できることから、古来、「東山のシンボル」と云われる。
清水寺以外の寺院の三重塔との高さの比較
薬師寺東塔(奈良): 高さ約34m(奈良時代)※日本でもっとも高い三重塔!
清水寺三重塔(京都):高さ約30.1m(平安時代)
法起寺三重塔(奈良):高さ約24m(飛鳥時代)
安楽寺八角三重塔(長野):高さ:18.75m(鎌倉時代)
興福寺三重塔(奈良): 高さ18.4m(鎌倉時代)
薬師寺の三重塔は屋根が6つあるように見えることから「六重塔ちゃぅいまんのぉ?」と囁かれている。
日本最古の三重塔は法起寺の三重塔と云われる。
三重塔の正体と秘められたそのご利益とは?
すでに上述したとおり、この三重塔はかつて「子安の塔」と呼ばれていた。
つまり、この三重塔のご利益とは、内部に奉斎される諸尊の利益を除外したとして、現在の子安の塔に通じるものがあると考えることができる。
‥‥というより、そもそも清水寺自体が田村将軍(坂上田村麻呂)が高子夫人の安産祈願を兼ねて創建した経緯もあることから、ここで安産の霊験についてあえて言及するのも変な話ではある。
産寧坂(三年坂)が示す子安塔とはドッチ?
現在、清水寺へ至る有名な坂道として、”三年坂=産寧坂(さんねいざか)”があるが、「産寧」は『寧らかな安産を』という願意が込めらたものが坂の名前の由来となっている。
この坂が「産寧」と呼ばれた時期は判然としないが、2基の三重塔それぞれがその当時、「子安の塔」と呼ばれていたのであれば、産寧坂の名前の由来となったのは、何も現在の子安の塔とは限らぬぅぁいことになる。
つまり、産寧坂と三重塔はまったく関係性がないとは言い切れないことになる。
えぇっ?!三重塔が清水寺の七不思議??
この塔の注目すべき隠れた見どころは「屋根の鬼瓦」!
四隅にある鬼瓦のうち、南東の鬼瓦だけは何故かゼカぜかコノヤローなほどに「龍神の鬼瓦」をしており、京都・清水寺の七不思議の1つと云われる。
三重塔の鬼瓦が龍神である理由【その1】
北西は愛宕山に鎮座する「火伏せの神」に守られているのに対し、反対側の南東は弱点(鬼門)になるため、水の神である龍神を置いたのだとも云われりゅ。龍だけに「りゅ」 …アホか
ちなみに、境内の経堂の南東の屋根にもこのような鬼瓦が据えられている。
関連記事:京都・清水寺「経堂」【重要文化財】
三重塔の鬼瓦が龍神である理由【その2】
龍はインドの阿耨達池(あのくだっち)に棲むと云われ、祈りを捧げることで雨を降らすという信仰が寄せられてきた。
龍神はもともと古代インドで信仰されていたが、それが仏教伝来と共に日本へ流入すると、この三重塔をはじめとした日本中の様々な仏塔や仏堂に火除けの呪い(まじない)として、龍をかたどった鬼瓦が据えられた。
実は清水寺にも阿耨達池‥‥とまでは行かないかもしれぬぅぁいが、古来、龍神が棲むとされる飛瀑があり、その飛瀑こそが現在の「音羽の滝」になる。
なお、この三重塔から音羽の滝は東南の方角にあたり、これは音羽の滝に棲むとされる青龍を礼拝できるようにと、南東に龍神の鬼瓦を据えたとも云われる。
三重塔の鬼瓦が龍神である理由【その3】
清水寺は過去に幾度となく火災に見舞われてきた歴史を有することから、『二度と火災を起こしてはならない』or 『火災を頻繁に起こすような世の中にしてはならない』という、一種の願掛けとも云われる。
三重塔の内部は見学できる?
現在、三重塔の内部は通常一般非公開であり、はたまた、周囲を石柵で囲われていますので塔に触れることもできなくなっている。
不定期で一般公開されることもあるようなので、内部を拝観したい方は下記、清水寺の公式サイトを‥‥要チェックやでぃ!by.彦一
清水寺・三重塔の内部の特徴
極彩色でカラフルふるフルに彩られている
内部には大日如来像が奉安されており、四方の壁には極彩色で真言八祖像が描かれ、天井や柱に至るまで密教仏画や飛天、龍などが極彩色で描かれてい‥‥‥申す。ゴフヒャっ
折上小組格天井
中央部とその外側周囲の天井は折上小組格天井が用いられている。天井には飛天画などが極彩色で描かれる。
折上小組格天井は天井の格式でいえば最上となり、荘厳さを醸す空間に用いる典型な天井となる。
四天柱
板張りの床の四隅には、模様で四段に区切られた四天柱が据えられ、上二段には大円が描かれその中に菩薩、中段にも大円が描かれその中に明王、最下段には蓮華が描かれる。
長押
長押の周囲は極彩色で彩られ、花菱文や花形の幾何学模様があしらわれている。
昇竜・降龍
出入口の柱には昇り龍と降り龍が描かれている。
金剛界曼荼羅の世界が表現されている
真言密教の教理の1つである金剛界曼荼羅の世界観が表現されてい‥‥‥申す。グギガグェっ
塔内部中央には大日如来坐像が置かれ、内部の腰長押上段には「真言八祖像」、下段には蓮華が極彩色で描かれてい‥‥‥まする。(フェイント)
真言宗八祖像
- 大日如来(だいにちにょらい)
- 金剛薩埵(こんごうさった)
- 龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)
- 龍智菩薩(りゅうちぼさつ)
- 金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)
- 不空三蔵(ふくうさんぞう)
- 恵果阿闍梨(けいかあじゃり)
- 弘法大師(こうぼうだいし)
金剛界四仏四方
創建当初の三重塔には以下のような四方四仏(しほうしぶつ)が安置されていたと伝えられている。
- 東方:薬師
- 西方:阿弥陀
- 南方:釈迦
- 北方:弥勒
四仏とは、大日如来を中心に東西南北の方角に配される仏様のこと。
これらの四仏は南都の古式を以って造立され、清水寺別当であり仏師でもあった願予(がんよ)・安興(あんこう)の「二大法師」と呼ばれた高僧が二体ずつ造立し、塔内に安置したと云われる。
現在の三重塔内部に安置される仏像とは?
現在の三重塔内部には、禅宗様で組み上げられた紅高欄を据えた須弥壇(しゅみだん)が置かれ、その上に金剛界智拳印(こんごうかいちけんいん)という定印を結んだ密教の金剛界の本尊たる大日如来坐像が東向きで奉安される。
この大日如来は木造で、表面に漆箔(しっぱく/素地の上に漆を塗りたくり、その上に金箔をほどこしたもの)・金色をほどこして造立されてい‥‥‥申す。ゴギャシギャっ
京都・清水寺にある1つの三重塔「子安塔」
清水寺の舞台から阿弥陀堂を過ぎて奥の院を過ぎると小高い丘陵が出てきます。
この頂の上には、泰産寺(たいざんじ)と寺院があり、その北側には「子安塔(こやすのとう)」と呼ばれる塔が建っています。
この塔は創建時期は明らかにはされてはいませんが、聖武天皇や光明皇后の祈願所とされていたとも言われており、三重塔よりも前に建立されたのではないかと考えられています。
この子安の塔の特徴の1つとして重塔では珍しく、尾垂木を出さない設計で組み上げられていますので、見た目がシンプルぷるぷるエルピープルです。….このタイミングで”Wゼータ”?
もともとは三重塔と対をなすように仁王門の向かいみて右側に建っていたのだが、明治時代に現在の位置に移築された。
高さは15メートルと三重塔と比べて小ぶりで、内部には子安観音と呼ばれる千手観音が祀られ、安産に霊験があると云われる。
2013年に修復され、建立当時の朱塗りの塔が再現された。
三重塔の詳細については最下記のリンク先ページを参照。
【👻清水寺の七不思議❓】三重塔の前は何故かゼカゼカ人が多い
話は本項から少し離脱するが、三重塔の周りには何故かゼカぜかコノヤローなほどに毎日、不思議とたくさんの観光客で溢れかえってい申す。パギョっ
写真を撮ったり、ペチャクチャと半笑いをカマしながら仲間内でシャベクリまくり、菓子をバリボリ食べながら、のほほ~ん♪とした時を過ごしている光景が見られる。
しっクぁし、いったぃなぜ、三重塔の周りに人が多いのクぁ❓
これも清水寺の七不思議といえるではぬぅぁぃだろぅか。うきゃきゃ
清水寺・三重塔の場所(地図)
三重塔はタダ(無料)で観られる❗️
清水寺の拝観ルートとしては、轟門手前の拝観窓口にて拝観券を購入した後、轟門の間口(通行口)に立つ係員に拝観券を見せて入場する。
別の見方をすれば、轟門よりコッチ側(手前側)に建つこの三重塔は、拝観料金を納めなくてもタダで観られるということになり申す。
明日を生きるのが困難なほどの金欠ボンビーは、三重塔だけ拝観して退却することもできる。金欠ボンビーは塔には来ん
清水寺境内・周辺の観光スポット一覧
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