京都・清水寺の本堂外陣にある「御正体🙏」や「懸仏🙏」とは?

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「御正体」や「懸仏」とは?

本堂の舞台手前に置かれた賽銭箱のあたりで上を見ないかぎり気づかないかも知れないが、実は本堂の外陣と内陣の間の菱欄間には、金属の円盤が吊られてい‥‥‥申す。プピィャホェっ

※清水寺本堂は原則写真撮影禁止(写真はパンフレットより引用)

この円盤の中には精巧に造立された小さな仏像を見つけることができるが、この円盤こそが「御正体(みしょうたい)」や「懸仏(かけぼとけ)」と呼ばれるものであり、全部で3枚ある。

この3枚が意味するところは本尊とその左右の脇侍である地蔵菩薩と毘沙門天になる。

もぅ気づいたかもしれないが、この3枚は秘仏の本尊ならびに、地蔵菩薩、毘沙門天の御影(御姿)を忠実に模して制作されたもの。それゆえ「御正体」と呼ばれる。

本尊が秘仏ゆえ、参拝者は直接、目で見て拝めない。それゆえ、お前立ちの尊像がその前に立つが、より参拝者に身近に霊験を感じてもらおうとした配慮こそが、この御正体の正体ともいえる。(”御正体”だけに)

もしくは本尊と両脇侍は33年間、開扉されない絶対の決まりがあるがゆえ、参拝客や僧侶を含めた待ちきれない人々のために忠実に模刻したものが据えられたともいえる。(御本尊と両脇侍は厨子(ずし)という箱に収められているが、住僧とて33年に1度しか中を見ることはできない)

この「御正体」もしくは「懸仏」を礼拝することによって本尊を直接、礼拝したことになり、同じだけの”功徳(くどく)”をまるで女性を”口説く”かの如く積めまくるとされる。その度合いが知りたぃ! ….総じて意味不明

「御正体」もしくは「懸仏」の歴史(起源)

この「御正体」もしくは「懸仏」は、いつ頃から礼堂に吊られているのかは明らかにされていないが、江戸時代以前から本堂の礼堂に吊られていたと伝わる。

つまり、以前の「御正体」もしくは「懸仏」が存在したわけだが、1629年の大火によって当時の本堂と共に運命を共にし、燃え尽きたということ。

そのわずか4年後となる1633年に江戸幕府によって伽藍の再建計画が成り、その折、再造されたものが、現在、本堂外陣(礼堂)に吊られる「御正体」もしくは「懸仏」になる。

⬆️御本尊は腕が40本近くある千手観音にも関わらず、それぞれの腕が見事なまでに精巧に表現されている。


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「御正体」もしくは「懸仏」の存在理由とは?

このような「御正体」もしくは「懸仏」と呼ばれるものは、本地垂迹説に基づき、本地仏を表現するために用いられたとされ、およそ平安末期〜鎌倉初期にかけて、鏡に仏像を毛彫して神社に奉納したことに始まるとされる。

それゆえ、「鏡式丸額の懸仏」とも呼ばれる。

「御正体」もしくは「懸仏」の仕様

本尊の懸け仏

  • 像高:73㎝ ※半肉彫りの清水型千手観音立像を組み付け
  • 様式:板地銅板張り
  • 総重量:400kg
  • 制作・奉懸年:1633年(寛永10年/江戸時代前期)

将軍地蔵菩薩の懸け仏(向かって左)

  • 像高:49㎝ ※半肉彫りの将軍地蔵菩薩立像を組み付け
  • 様式:板地銅板張り
  • 総重量:400kg
  • 制作・奉懸年:1633年(寛永10年/江戸時代前期)

毘沙門天の懸け仏(向かって右)

  • 像高:41㎝ ※半肉彫りの毘沙門天立像を組み付け
  • 様式:板地銅板張り
  • 総重量:400kg
  • 制作・奉懸年:1633年(寛永10年/江戸時代前期)

3体それぞれの懸け仏は直径2メートルもの檜材を円形に切り抜き、その上に銅板を貼りあわしたもの。

銅板の中心にはそれぞれの尊像が模刻され、その両側には花立て(花瓶)に生けられた蓮華(蓮花)表現した彫物も見える。

円盤の外側枠部分には鎖を据え付けた巨大な獅子頭をかまし、これを懸け仏もしくは御正体として礼堂と内陣の間の壁面上部(菱欄間)に吊る。

多くの参拝客は賽銭箱の上に吊られていることに気づかないと思うが、参拝客は賽銭箱の前で礼拝することによって知らぬ間に懸け仏に礼拝したことになっており、これはつまり、女性を”口説く”かの如く、とにかくものスんゴぉぉぃ勢いを持った”功徳”を積めることを意味する‥‥‥の?ええかげんにせぃ! ‥口説く系2連発はキツイ

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