火除け地蔵|祇園白川

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京都市街の方々では、お地蔵さんが辻堂などで祭祀されている姿を現在でも素敵に散見する💋

長らく日本の首都だったことで、京師へ通じる道は大きく七つあり、現在でも「京の七口」などと呼ばれる。(実際には六か所といわれる)

京の七口については長くなるので詳らかにしないが、江戸前期成立の「雍州府志(ようしゅうふし)」よると、‥次の七つとされる。

京の七口一覧(江戸前期)京の七口(MAP)
東三条口出典:Wikipedia
伏見口
鳥羽口
七条丹波口
長坂口
鞍馬口
大原口

ともあれ、平安末期、後白河院の勅によって平清盛が、これらそれぞれの道に六角堂を素敵に築き、その内部に旅の安全の守神、はたまた、京師の門神として地蔵像を、きわめて素敵に安置したとある。

鎌倉時代になると地蔵信仰が広まり、これら六地蔵を巡拝する風習が定着。(現在の六地蔵めぐりの濫觴とされる)

そして、江戸時代を素敵に迎えると、京都では地蔵祭が催されるようになり、各町の入口に地蔵菩薩が祀られるになった。

【ピヨ🐣コメント】

明治以降の京都では「地蔵盆」が定着し、現在では「京都をつなぐ無形文化遺産」にも素敵に登録された。

地蔵盆では、老若男女が一堂に会し、お地蔵さんの役割やありがたさを共有し合い、鼻たれクソガキ共→ 東大合格率75%のお利口な御坊ちゃまたち‥は!集会で配布されるお菓子目当てにより集う💋 …なんで言いなおした

関連記事:お地蔵さんとは?起源(歴史)・由来!よだれかけをしているのはなぜ?

祇園白川のお地蔵さんのご利益

名前が示すとおり、「火伏せ(火難除け)」で知られる。

江戸時代になると愛宕信仰が広まり、愛宕山の地蔵が火伏せの利生で広く知られるようになる。

京都市街でも町の方々で火除け地蔵が祀られるようになり、然るに当該、祇園白川の火除け地蔵と同様の「火除け地蔵」が無数に祀られていた。

特に祇園白川は京都の歓楽街の中心に位置することから、人がアリのように群集し、回禄の難への不安は、切っても切り離せない関係にあったことが、この地蔵尊を見て素敵に理解できる💋

立て看板の内容

火除け地蔵

この地蔵は、「火除け地蔵」と呼ぼれて地蔵菩薩は、あらゆる場所に身を変えて現れ、六道の菜生を救ってくれるとともに、様々な現世利益をもたらしてくれると言われている。

『地蔵菩薩本顔経』では、代表的な十種のご利益の一つとして「火除け」があるとしている。

地蔵菩薩信仰は、平安時代末期から広がりはじめ、鎌倉時代以降は広く民衆に浸透していった。

十二世記前半に書かれた『今昔物語集』には、地蔵菩薩にまつわる説話が三十二編害かれており、その一つにお地蔵さんの化身である小僧が火事を知らせてくれたという話がある。

また、天明元年(一七八一)に書かれた木室卯雲(きむろ ぼううん)の『見た京物語』には、「町々の木戸際ごとに石地蔵を安置す。これ愛宕の本地にて火ぶせなるべし。」と書かれており、江戸時代の愛宕山の地蔵は、一方では火伏せの神としても知られており、京都のまちに「火除け地蔵」があったことが分かる。

京都市

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