【辰巳大明神(辰巳神社)の歴史(名前の由来)】意外な神様のご利益は意外だった💋

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辰巳大明神の歴史

京都市が建てた当神社の説明板には次のように記される。

辰巳大明神を祀る祇園新橋一帯は幕末から明治時代にかけて花街として隆盛を極め、当時の著名な人々がこの界隈をこよなく愛し、度々訪れた。

第二次世界大戦中の建物強制疎開や戦後の区画整理により、白川北岸のお茶屋や座敷の建物が取り崩され、白川南通りが開かれ、現在の街並みとなった。

地元商店街の公式サイトを閲覧すると、往時は巽橋袂(たもと)、新橋の上と所在地が転居し、現在は白川南通と新橋通の岐れ道に位置する。まるで道を司どる道祖神のようにも思える。




ピヨ🐣「辰巳大明神」の名前の由来とは?

付近の「巽橋」の由来が辰巳神社(辰巳大明神)なのであれば、ではその辰巳大明神の由来はどこからきているのか?

これは単純に禁裏(京都御所)の辰巳の方向(南東)に位置することから、「辰巳大明神」と素敵に呼ばれたらしいが、かつては南東方位の鎮守社だったとか。

辰巳大明神の神様

昔は白蛇だった?!

同様に京都市が建てた当神社の説明板には次のように記される。

現在の辰巳大明神の地にあった旧家には屋敷神として白蛇が祀られていた。

旧家の移転に伴い、祠は地域に継承され、巽橋北詰の橋の袂に祀られ、祇園の料理人が卵を供え、信仰していたと言われている。

祠は戦後、巽橋の改修に伴い、現在の辰巳大明神の場所に鎮座された。

地元・祇園人の間では「タヌキ(狸)」

地元民曰く、この神社には「タヌキ(狸)」が神として祀られているらしい。

なんでもかつてこの界隈には狸が棲みつき、イタズラばかり働くので、ある時、界隈の町人たちが狸を祀るための祠を築いたところ、奇しくも狸がパッタリ姿を見せなくなった‥という奇譚があるそぅな。




辰巳大明神のご利益

かつては白蛇が祀られていたので「芸能上達」「無病息災」「商売繁盛」の利生がある!

同様に京都市が建てた現地看板には次のように記される。

白蛇は弁天の遣いであり、芸能への職能神・弁財天信仰として転化され、やがて飲食業者だけではなく、祇園の舞妓・芸妓が信仰するようになり、その後は芸能上達と共に無病息災、商売繁盛の氏神として地域に信奉されてい‥申す。あひぃ

🐍一般的な白蛇のご利益

一般的に白蛇のご利益は「富貴・金運大吉」で知られる。また白皮をまとった純白の姿態から心身清浄・浄化の利益もあるとされる。

タヌキ(狸)のご利益

地元では神社にタヌキが祀られていると信奉されていることから、狸にちなんだ利生があるとされる。

🐱一般的なタヌキのご利益

タヌキは「他抜き」と書いて「他人を抜く」=「勝負運」の利益が大吉とされる。

また、人を化かす(たぶらかす)ことから、立身出世、開運の利益も良好とされる。

他に狸の習性として一度、夫婦になると生涯添い遂げることから「夫婦円満」の利益も望める。

置き物で知られる「信楽焼たぬき」は「八相縁起」の利生が備わるとし、災難除け(笠)、商売繁盛(徳利)、出世(通い帳)、金運(キン◯マ)、招福(しっぽ)‥‥などもあるとする。

現在では芸事の上達に霊験あり?

界隈の舞妓や芸妓は辰巳の”タツ(辰)”に、上達の達(たつ)をかけてなのか、芸事の上達祈願などで社参するらしい。 舞妓さんとLINE交換♡

辰巳大明神には祭典が執行される

同様に京都市が建てた現地看板には次のように記される。

年四回、一月には寒供養祭、二月には初午祭、七月には土用供養祭、十一月にはお火焚き祭の神事を通じて絆を深めている。

京都市

辰巳大明神(辰巳神社)の神事は誰がやる?

辰巳大明神(辰巳神社)の年四回の祭礼には八坂神社から近くの八坂神社の神職ほか、初午祭には伏見稲荷大社からも”神職”が”侵食”する勢いにてやって来て執り行う。




辰巳大明神(辰巳神社)の場所(地図)

所在地:京都市東山区新橋花見小路西入ル元吉町

拝観料金:無料

拝観時間:特になし(参拝自由♡)

アクセス

京阪本線「祇園四条駅」下車徒歩約5分

「四条京阪前バス停」より徒歩約5分

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