【👻清水寺の七不思議💀】奥の院に縁切りの利益をもつ夜叉が出現した!

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奥の院の夜叉神

奥の院の舞台を抜けかけようとすると上掲、写真のような格子状の木扉が取り付けられた切妻造りの建物と、赤・緑・白色の綱が撚り合わさった鈴緒、それに賽銭箱が見える。

鈴緒に邪魔されて見にくくなっているが、木扉の上部には「守(しゅ)夜叉神」と揮毫された横額が吊られてい‥‥‥申す。ガフェヘヴォェァっ

ところで‥‥「夜叉神」とは?

夜叉とはインド神話(ヒンドゥー教)に登場する鬼神のこと。伝承によれば、天夜叉・地夜叉・虚空夜叉の三種があり、地夜叉以外は飛行するとのこと。

これは人々がまだ、原初的神道である磐座を代表例とした山、川、草、木などに神々が宿ると篤く信仰していた頃の話。

甲斐国(長野県上田市)に伝わる話では、身の丈は七尺余り(約2.2メートル)、両目は日月の如く光り輝く、獰猛(どうもつ)且つ、醜怪(しゅうかい)な醜貌をさらした夜叉神が水出川を依り代としていたとな。

この神は非常に暴悪な振る舞いが多く、悪疫、洪水、暴風雨などを自在に操る力を持っていたことから、何か自然災害が起こると人々は「夜叉神の祟り」と呼び慣わし恐れた。

しかし釈尊(釈迦)に帰依するとその力を仏法の守護に用いるようになり、やがて仏法を守護する八部衆に列した。

清水寺(奥の院)で夜叉神が奉斎される理由

清水寺でも護法善神としての虚空夜叉を、境内を守護する守護神として奥の院にて奉斎されるようになったとされる。

鳥の如く、空を自由に飛び回れることから、境内をくまなく見回って、清水寺の辰巳の方角(南東)の裏門(清閑寺へ通じる門)とその周辺を警護している伝えられてい‥‥‥申す。ヤシャっ(夜叉だけに)

⬆️奥の院にて奉安される夜叉神の姿(スト2の豪鬼にクリソツ….瞬獄殺最強) 画像は清水寺でいただいた冊子より

奥の院に奉斎される虚空夜叉の像容

頭髪は焔の如く逆立ち、憤怒の形相をさらし、肌は群青色、そうかと思えば右手に宝珠を奉持し、左手には大師の尊像を見るかのように三鈷(さんこ)をいただく。

オッさん座り(腐朽化により損傷が著しく趺坐を組んでいるのか分からない)で西を向いて座している。

本像の材質はヒノキ材の寄木造り、目は玉眼、胸元にわずかに瓔珞が見える。

造立年代は不詳とされているが、膝厚(ひざあつ)が薄いことや、裳(も)の襞(ひだ)の作り方が粗くもあり、力強さが備わらないことから江戸時代初期の作と見られている。

何分、損傷が激しく、年代の特定には至らない現状があるのだろぅ。

夜叉神のご利益

前述のように夜叉神は元来、獰猛且つ、粗暴な荒神(あらがみ)であることから、その力を用いて善行人を助け、霊験ある利益を授ける。

悪人には危害を加えるとされる。

清水寺では、音羽の滝には青龍が宿るとされ、その青龍は御本尊(観音)の化身でもあることから、その青龍と青龍が居つく聖地(清水寺)を護持し、人々の悪縁を断ち、良縁を結ぶ神として信仰されてきた。

それゆえ奥の院の夜叉神は古来、「縁切りの神様」とも呼ばれ、密かな信仰が寄せられ続けてい‥‥‥申す。キャフェっ




清水寺の夜叉神の歴史

現在は奥の院の堂の外陣に奉斎されるが、以前は奥の院の南側にあった庭に夜叉神堂が建てられていて、その中で祀られていたとのこと。オホ

現在、奥の院の縁側に独立した屋根付きの覆屋に奉安されて佇んでいる姿を見ると、往時の姿が偲ばれる。

夜叉を奉安した門

栃木県にある徳川家光公の霊廟でもあり、家光公を奉祀する大猷院(たいゆういん)の境内には「夜叉門」と呼ばれる4柱の夜叉像を門の裏表の左右両端の間口に奉安してい‥‥‥申す。パキュィァグェっ

4体もの夜叉像を奉安する門は、大変めずらしく、また、烏摩勒伽(うまろきゃ)の像は全国でも大猷院だけで見られるとのこと。

大猷院では烏摩勒伽の持物である破魔矢にちなんだお守りを授与しており、昨今、TVで紹介された後、2〜3ヶ月待ちが出るほどの人気を博してい‥‥‥申す。キャピゥェっ

大猷院の四夜叉および烏摩勒伽についての詳細は下記ページにて。うきゃ

夜叉神堂の場所(地図)

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