京都🐉清水寺(本堂)「塩断ち阿弥陀」の正体

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「塩断ち阿弥陀」とは?

「塩断ち阿弥陀」とは、江戸時代、所願成就・極楽往生を祈願するために決死の「塩断ち(しおだち)」を誓願する証として、信者が発願して造立したと伝わる阿弥陀如来像になる。

尊像は現在、轟門をくぐり抜けた先に見える究極の半笑ぃ大黒天像の左手前の祠堂の中に奉安されてい‥‥‥申す。ショップゥアィィァァ〜….ベイベっ (まぁ塩だけに塩っぱいのは分かった。”ベイベ”てなんや?)

⬆️本堂左翼廊・庇間(ひあわい)※西車寄せの祠堂に奉安される塩断ち阿弥陀像。金網が前面に張られて内部が見づらい。

⬆️塗装され直した直後の塩断ち阿弥陀 (写真は清水寺公式より)

  • 像高:約90㎝
  • 造立方法:寄木造り
  • 制作時代:鎌倉時代後期
  • 作者:不明




「塩断ち」とは江戸時代に流行した信仰の1つ

現代は物に満たされているので想像もつかない話かもしれないが、江戸時代は神仏信仰が盛んだった時代でもあるので、様々な信仰が生まれ、様々な参拝スタイルが生まれた時代でもある。

そのうちの1つに「塩断ち」という苦行がある。

塩断ちとは、平易に一定期間、塩そのもののほか、味噌や醤油などの謂わゆる味付けの摂取を断つこと。

現代でも苦行を行えば女性を”口説く”かの如く”功徳”を積むことができて、たとえば極楽往生はじめ、何か祈願成就を願えばそれが叶うとされる。どんな度合いや

修験者が行う行法の1つにある水垢離(滝行)もまさにそのうちの1つといえる

⬆️音羽の滝で滝行する行者

我々の生きる現代では、この世に生を得て死すその時まで、おそらく塩が買えないという事態は早々に来ないだろぅ。

しクぁし!もし仮に塩がこの世から消えてなくなった場合のことを想像したことがあるだろうか。

塩切れ状態になって、身体はウルトラマン3分ピコンピコン状態。はたしてそれでも「フンっ。たかが塩断ちだろ。大げさな」‥‥‥などと言えるだろぅか。フフっ

まぁそもそも、それ以前に塩切れになったことがないので、塩切れの状態がどれほどの苦痛を伴うのか分からぬぅぁいことだろぅ。

本日、このページに辿り着いたの機とし、「塩断ち」といぅものがどれほど過酷なものだったのかを、その断片でも良いので知っておぃて欲っしぅい。

江戸時代には塩抜きの刑という処罰もあった

江戸時代中頃(特に吉宗公の御代)になると刑の種類も増加し、斬首や島流し(追放)以外にも服役刑というものも出てきた。その中に塩断ち刑というものがあった‥。

塩断ち刑がどういうものかと云うと、単純に塩を摂取させない刑。しかしこれだけだと、鬼太郎ヘアーがピンっ!‥と反応しちまぅ今日この頃のように、今いちピンっ!と来ない。わざわざ鬼太郎持ち出しのはエエけど意味よぅ分からん

ちょぃと考えてもらぃたいのだが、食べ物にはほぼ必ずと言って良いほど塩分が含まれている。

だからこそ美味い or 不味いの判定ができるものであって、もし塩分をまったくブチ込まない食べ物を食べたとしら‥‥はたして、どんな味なのか?

想像するのも難しいと思うが、1つだけ言えるのが究極に近い薄味になるので、おそらく味という味がしないということ。

そうなると食べる楽しみが消え失せ、毎度の食事が億劫になる。だが、腹は減る‥‥。じゃぁ、どうしたら良いのか?

食べるしかぬぅぁい!‥‥‥という事態に陥るのが塩断ちの刑なのである。

塩を摂らなければ人間はどうなるのか?

塩はナトリウムが主成分なのでミネラル成分を多く包含する。仮にもし、そのミネラル分が不足するとどうなるのか?

ミネラルが不足すると代謝が悪くなるので、やがて血管や内臓、筋肉の機能が衰弱し、そして苦しみながら衰弱死していくと云われる。

「塩断ち」とは、物資に満たされた現代であれば、場合によっては一生耳にする機会のぬぅぁい言葉であるかもしれない。

ここで話を一旦、塩断ち阿弥陀に戻せば、塩断ちすると決意して信仰心を投影した映えある阿弥陀如来像を作り、それを奉納して行(ぎょう)に入る様を想像してみて欲っしぅぃ。

その決意が我々の想像をはるかに超越した並並ならぬものであることが、最近虫歯気味の右奥歯の痛みほど、身にしみて伝わってくるといぅいもの。ペダル式冷水機の冷水が‥ しぃみぃるぅぅ〜😖 シクシク😢36




【補足】ところで‥‥‥江戸時代の人って1日にどれくらいの塩を摂取してたの?

江戸時代中期の1人1日の塩の使用量は約3勺(1勺=約18ml/ミリリットル/3勺=約54ml)、牛馬の飼育の盛んな地方では4勺とも云われる。

⬆️50mlのサイズ感(例としてスプレーボトル)

江戸中期の日本の人口は約3000万人と云われるが、当時の塩の需要は少なく見積もっても320万石から330万石ほどになる。(1石=約180リットル/320石=57.600.000リットル

当時の塩はほぼ、瀬戸内で生産されたものが、塩廻船(しおかいせん)という専用の船に乗せられてドンぶらこ〜♪ドンぶらこ〜♪‥‥と東海地方を経て、江戸、あるいは北国筋(ほっこくすじ)へ運ばれた。

塩断ち阿弥陀のご利益

所願成就、塩関係を生業とする事業の発展‥‥etc

塩断ち阿弥陀の場所(地図)

西車寄せを進んだ先に立つ出世大黒天像の手前。本堂外陣の外側。

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