日限地蔵尊(安祥院)の歴史(年表)

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日限地蔵尊(安祥院)

創建:942年(天慶5年/平安時代)
再建年(現地にて再興):文永年間(1264年〜1274年/鎌倉時代)
中興年:1725年(享保10年/江戸中期)
開基:朱雀天皇(勅願)
中興の祖:養阿
正式名称:東山安祥院木食寺
通称:日限地蔵、日限さん
別称:安祥院、大藪山 仁王護國院
札所等 洛陽六阿弥陀めぐり第4番、通称寺の会(日限地蔵)
安置仏像:阿弥陀如来像(御本尊)、木喰不動明王
ご利益:日数を決めて祈願すれば諸願成就する(日限地蔵尊の名前の由来)

日限地蔵尊(安祥院)の歴史(年表)

日限地蔵尊(安祥院)は近世、洛陽の行基菩薩と謳われた「木喰(もくじき)正禅養阿上人、入場の霊地とされる。

「木喰」とは五穀を断って、木の実を食する「木食行」と呼ばれる行を修する僧のこと。

平安時代に創建す

942年(天慶5年)、朱雀天皇の勅願によってに天台座主・尊意が、乙訓郡大藪郷(現在の南区久瀬大藪町)に大薮山仁王護国院(天台宗)を創建す。これが当寺の起源とされる。

鎌倉時代に再興される

1264年から1274年(文永年間)に住持の蓮寂上人が再興し、寺号を安祥院に改めたと伝わる。

江戸時代

現在の当寺は浄土宗総本山知恩院の末寺となり、寺号を東山(とうざん)木喰寺(もくじきでら)安祥院(あんしょういん)と称す。うきゃきゃ

江戸時代中期

往時はに所在したが、星霜経ながら衰微し、享保年間(江戸中期)に木喰正禅(もくじきしょうぜん)養阿(ようあ)上人が現在の五条坂に再建したのが始まりと伝わる。

養阿上人は1687年(貞享四年)に洛中にて生を得る。時経て24歳の頃、四宗兼学の泉涌寺(せんにゅうじ)にて得度し、苦行を経た後、大阿闍梨(だいあじゃり/僧侶の最高位)にまで昇り詰めた。

1727年(享保十二年)に境内諸堂が落成し、落慶法要が盛大に営まれたと伝わる。

これもひとえに霊元法王や宝鏡寺宮はじめ、上人を慕い上人に帰依した善男善女の心温まる浄財によってもたらされた、かけがえのない恩恵である。

1797年(寛政九年)に成就院傘下に置かれる

門前前は清水寺成就院の寺領でもあったため、当時の日限地蔵尊もその管理下に置かれた。

清水一丁目〜五丁目までが清水寺の寺領だったため、当時、清水寺を部分的に所管していた成就院がその管理者として、この日限地蔵(安祥院)ほか、以下に挙げる寺院も所管とした。

日體寺(にったいじ/八坂)、大斬寺(だいぜんじ/八坂)、西光寺(五条坂と清水坂の間)、寳徳寺/宝徳寺(清水坂)

これらの寺院の宗門を改める検分を行い、檀家戸籍作成などを通じて支配体制を強化した。

また、寺領の住民の居住、家屋、営業、年貢なども検分し、制度の見直しを図った。

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