清水寺本堂の舞台の柱には釘が1つもない?建築構造「高さ・面積・傾斜理由」や見どころ・特徴を‥‥‥知るつもりぃ?

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京都・清水寺「本堂の舞台」【国宝】【世界文化遺産】

清水寺・舞台の構成

まず、清水寺の舞台は以下のような構成で成り立っています。

  • 東楽舎(東翼廊)
  • 西楽舎(西翼廊)
  • 南廊下(礼堂廊下)

画像は清水寺公式サイトより

東楽舎(東翼廊)と西楽舎(西翼廊)は、回廊の構成要素の一部なので分かりづらいのだが、舞台の左右両端に設けられている入母屋屋根付きの建物のこと。(↓写真参照)

奥の院や阿弥陀堂の先の山沿いの参道から見ればよく分かりゅ。

清水寺の舞台の高さ

  • 舞台の高さ:〜約13m
  • 根元の最大直径は周囲2.4m(直径約80㎝)

舞台下の柱は崖(山の斜面)に面して据え付けられているので、厳密には長さは均一ではなく、疎らというのが本音。

最長の長さを誇る柱は、せり出した舞台のもっとも出先の6本柱、約13メートルになる。(下掲写真参照)

⬆️右端の建物は右楽舎、左側が左楽舎。手前6本柱が最長の長さを誇る。

清水寺の舞台下のもっとも、せり出した部分の高低差は約13メートル。

舞台はそこから急斜面になっていて、本堂の内陣あたりで従来の平地へと至る。

⬆️横から舞台下の柱を見ればどの柱が最長の長さを誇る柱なのかは一目瞭然💘

この13mという高低差ですが、いったいどれくらいの高さになるか検討がつきますかぃ?

ぬぅあんとぉぅっ!およそ4階建てのビルに相当するほどの高さとなります。

身長2m近くある魚住or赤城キャプテン(大人のメンズ)であればザッと6人分。by.スラムダンク

また、清水寺の舞台の足元の柱は、簡単に取り替えが出来ないことから、後述する貫(ぬき)の両端部には雨水が貯まらず下に滴れるように「傾斜のある雨除け板」が据えられています。

清水寺の象徴・シンボルとして、はたまた、京都清水寺の大きな魅力を伝えるこの「清水の舞台」ですが、特に舞台下から見上げると、その高さ、そしてその迫力には驚かされます。

そしてもっとも驚愕する事実というのが、なんとぉぅおぅ!「この舞台には釘が一切使われていない」ということ!


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清水寺・舞台下の柱の全本数(内訳)

清水寺の舞台の柱の全本数は以下の通りです。

  • 舞台と本堂を含め、大小すべての柱の本数:172本
  • 舞台の真下のみの柱の本数:78本
  • 舞台のセリ出た部分を支えるもっとも長い柱の本数:18本

⬆️画像手前の「黒丸」が舞台に使用される柱(合計18本の十六面柱)になる。

【補足】本堂の脚元の柱の数の内訳

正堂-丸柱大:44本
両裳階(もこし)-丸柱小:17本
礼堂(らいどう)-丸柱小:30本 ※床下
西車寄せ-丸柱小:9本 +3本
礼堂廊下 角柱10本 +12本
両楽舎-角柱(四角形):10本 +12本
東廊下-角柱(四角形):4本 +3本
舞台下-16面柱:18本

  • 各合計:124本 +48本

  • 総合計172本 78本

※黒太字が舞台下の柱となる。

大人1人分の長さを持つ「ケヤキの柱」

清水寺の舞台下の柱は渓谷の傾斜に合わせるようにして舞台下に78本、本堂全体では172本の柱を巧みに配置してい‥‥‥申す。ハッシャっ(柱だけに)

縦、横はおおむね均等な間隔で並べ、足元は崖の傾斜に沿わせて丸切り石の上に立てられてい‥‥‥ます。…….。……。(無言ver.)

ケヤキ材を切り出してでできた172本もの柱1本1本を16角に加工して、周囲約2.4m/直径80㎝の柱に仕立てています。直径80㎝もあるので大人のメンズでも抱えきれないほどの太さがある。うきゃきゃ

京都・清水寺の舞台の柱の「釘が一つもない理由と造り」

【その1】「懸造り」だから

この「清水の舞台」は、貫(ぬき)という横木を多用した「懸造り(かけづくり)」と言う建築様式(手法)で建てられています。

舞台の脚元の様子

清水寺の舞台の18本の柱の「建築様式・木材」

「懸造り」とは、別名で「崖造り(がけづくり)」や「舞台造り」とも呼称され、主に以下のような条件のときに用いられる建築工法です。

  • 山の急な斜面や段差のある土地などに面積のある建物を建てるとき
  • 観音菩薩を祀る「観音堂」を建てるときに用いられることが多い

⬆️懸け造りを側面から見た様子  画像提供:https://www.asahi.com/(朝日新聞社)より

ちなみに「懸造り」の『懸』とは、『かける。かかる。つりさげる。ぶらさげる。』または、『物にひっかける。ぶらさがる。空中にかかる。』という意味合いがあります。

まさに清水寺の舞台の造りを表現した言葉と言えます。ちなみに奈良東大寺・二月堂の舞台も同様の造りをしています。

実際、この「清水の舞台」も「錦雲渓(きんうんけい)」と呼ばれる崖の上に建てられています。そして、それを支えるのが「78本のクソ長げぇケヤキ柱(本堂敷地全体では172本)」です。

このような「懸造り」の建物は、もともと国土が少なく山岳地帯が多かった日本に多く、日本特有の独自の造りであると云われる。


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懸造り(舞台造り)の最古の例

全国最古の例

全国最古の舞台造りは、鳥取県の三朝温泉からほど近ぃ、平安後期造営の「三仏寺・投入堂(なげいれどう)」とされる。

京都府内での最古の例

京都府内での最古の例は鞍馬の山奥(左京区)に位置する鎌倉時代造営の「峯定寺(ぶじょうじ)・本堂」となる。

峯定寺・本堂は撮影禁止(仁王門から先は写真撮影禁止ゾーンとなる)

峯定寺は、藤原通憲(信西)が記した「大悲山峰定寺縁起」によると、1154年(久寿元年/平安時代末期)に、鳥羽上皇の勅願によって、熊野の山岳修験者・三瀧上人観空西念が千手観音を石窟中に奉安したのが創建とされる。

ちなみに現在の本堂(舞台)は1350年(貞和6年)頃の再建。

【その2】貫(ぬき)

上述したケヤキの柱1本1本は、ケヤキでできた「貫(ぬき)」と呼ばれる分厚い横木を通して接合されていますので、特に釘を用いる必要がありません。

貫材を巧みに用いることによって、上からの加圧と地震などの横からの揺れにも対応でき、つまりはわずかな木材でも、より強固な耐久力を持つ建造物を造ることが可能となります。

事実、釘や鎹(かすがい)などの金属製固着具よりも、はるかに耐震強度があると云われる。

このように柱と貫を格子状に組むことによって木材同士が支え合い、衝撃を分散することによって、本来、建物を建てることが難しい崖の上でも、このような耐震性の高い建物を建てることができます。

この他、柱と貫の接合部分は「継ぎ手」と呼ばれる手法で組み合わされ、わずかにできた隙間は、楔(クサビ)で締めて固定されています。

【その3】「楔(クサビ)」

もう1つ舞台に「釘」を使用せずに「楔」を用いる理由は、釘だと固定されて強度が上がる印象がありますが、楔だと適度にわずかな緩み(ユルミ)が生じるので揺れに対しての耐性がそなわりまする。

また、木材がもつ性質としての柔軟性や軟性をうまく活用することができます。

ちなみに「楔(くさび)」とは、貫(横木)と柱の間に生じる、わずかな隙間を埋めるための「木製の詰め物」のことです。

⬆️楔の一例。見ての通りわずかな隙間に「詰め物」を施す。

この他、楔の上部も雨除け板を据え付け、楔の間から雨水が柱内部に侵入しないように細工が施され、湿気に極度に弱い木材を守っています。

まさに細部にまでも目を凝らした職人の熱いナイスな細工です。泣けてきます。ウウっ

なお、舞台自体には釘は使用されていませんが、舞台下の土台には崖のくずれ落ちを防止するために「鋼管杭(こうかんくい)」と呼ばれる少し大きな鋼(はがね)の杭(くい)が打ち込まれています。

【その4】雨除けを用いて貫を守っている

上述したように舞台は毎日修繕されているとはいえ、雨風にさらされているのは事実。

また、江戸時代に建てられたものをそのまま踏襲して使用し続けているにも関わらず現状があるということは、何百年もの間、雨風に耐え忍んできたことになる。

舞台下をよく見ると飛び出した貫材の上、貫材の上に板が据えられて、まるで貫材を保護しているようにも見える。

写真は清水寺公式より

実はまったくその通りで貫材を保護するために木板を上に据えて貫材を保護している。

この保護板は雨除けの役目を主として担うことから、「傘」などとも呼ばれ、貫の保護、ひいては舞台の永年存続に一役買ってい‥‥‥申す。ドシャっ(豪雨を表現)

江戸時代に建てられたにも関わらず、幾多の天災にも耐え抜き、実際、少々の地震ではビクともしないと云われる。

単に貫材を用いるだけではなく、その後の展開を見据え、柱や貫を守るための細かな配慮ともなる工夫があるからこそ今日の舞台がある。

江戸時代初期の当時の技術力の高さが垣間見れる箇所ではあるが、これほどの舞台を建てた大工ですら、名前はいっさい残されていないのだとか。

舞台の柱の足元はそのまま地面に突き立てられているの??

・・なんて疑問を持たれている方も多いと思われます。

確かに単に地面に柱を突き刺しただけであれば、地面から伝わる湿気で柱が腐っていないのか心配ですが‥‥‥ご安心を!

なんと!地面と柱の間には石が敷かれ、舞台と地面との間をうまく取り持っています。

⬆️舞台の脚元の様子。各・柱の下には土台として丸切り石が敷かれている。

脚元には柱材を直接地面に埋め込んでいるわけではなく、強度のある「花崗岩(かこうがん)」でできた「丸切り石」の上に柱が載る格好になっています。

「丸切り石」とは平たい円形に加工された石のことです。

花崗岩は「雲母(うんも)」と呼ばれる物体が少ないので密度や純度が極めて高く、硬度が高い鉱石として広く知られてい‥‥‥申す。マック ハ アサマックっ

なお、直視することはできないが、丸切り石の中には寛永期の燃痕が残るものがあり、つまりは江戸寛永期以前の舞台にも舞台下の柱先に丸切石が用いられていたことになる。


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実は舞台の柱は定期的にプチ修繕されている??

現在、平日、土日祝日関係なしに、毎日、何百人という様々な体型の人々が一度に舞台に上がる

これら何百人、あるいは何千から何万という人々を江戸時代に造営された釘のない木造の舞台で今も変わらず支えていることになるのだが、‥‥‥そこでこんな疑問が出てきやせんかぇ?

「だっ、..大丈夫??」

現代建築では数十年もすれば崩壊してしまう建物も少なくはないが、なぜ、釘が1本も使われていない清水の舞台が数百年という悠久の時を経て今もなお、その形状をとどめられるのか?

実のところあまり表立って話題になってはいないが、柱は定期的に修繕をしている。

例えば、丸切り石の上に柱が乗っているとはいえ、地面(土)と接しているので、他の部分に比べて少なからず湿気を含む。

そこで足元は定期的に検査を行い、損傷が激しい場合(腐って空洞化した場合)は切断して、新しい木材を根接ぎ(継ぎ足し)してい‥‥‥ます。(フェイント)

⬆️根接ぎしている様子。丸石と接触して腐朽した部分を切り取り、ツっかえ棒をカマして新材と入れ替える。(画像提供:朝日新聞社より)

根接ぎする際は柱の先を切り取るのだが、1本ずつ執り行うので極端に舞台が傾くという心配もない。

まさに江戸初期より約400余年も受け継がれる伝統の技と呼べるものではないだろぅか。根接ぎが「根継ぎ」とも呼ばれる理由がよく分かる。

なお、清水寺の舞台の床面は屋根と同じヒノキ材が使用されていて、およそ25年から30年周期で取り替えが行われてい‥‥‥申す。トゥリキュァっ(取り替えだけに)

以上のような縁の下の力持ち or 水面下で舞台を管理している人たちがいるからこそ、江戸時代より今日まで変わらぬ姿のままの舞台で在り続けてい‥‥‥ます。…2発動は、結構MP消費激しいかりゅぁねぇ…

その他の舞台の見どころや特徴

その1.「実は舞台は傾いている」

⬆️礼堂の賽銭箱のすぐ後方から、わずかに傾斜が付けられているのがお分かりいただけるだろうか?

実は清水寺の舞台はわずかながら傾斜が付いており、雨水が下に流れていくような仕組みで建てられてい‥‥‥申す。ザボォァっ(流れる様を表現)

この傾斜は外陣(礼堂)北側の舞台部分より設けられ、舞台南側の端(高欄)の方へ向けて板材が斜めに据えられてい‥‥‥ます。ちょぃ発動見送り(今のってきたとこ)

角度にすると10度〜15度ぐらいになるだろぅか。うきょ

そしてさらに注目すべきは舞台の手スリ部分となる高欄(こうらん)の脚元。

高欄の筐体すべてを床に接触させず、あえて持ち上げることによって空間を創出し、雨水などを排出できる仕組みを採ってい‥‥‥申す。ハイシュシャシャっ(”排出”するだけに力を込めた)

その2.「楽舎(翼廊)が左右にある!」

⬆️右端の建物は右楽舎、左側が左楽舎。手前6本柱が最長の長さを誇る。

ほとんどの方は舞台から見る広大な景色に目を奪われるあまり、立ち止まることは無いと思われるが、上掲写真をご覧になれば分かるように清水寺舞台には翼廊や楽舎と呼ばれる入母屋屋根が乗った建物がある。

楽舎は舞台下から見上げ見ることで、舞台とともに映り込むその映えある美しさがシンミ〜リ♪と伝わってくるので、舞台の見どころというよりは清水寺の見どころの1つといえる。

阿弥陀堂や奥の院のあたりからでも、楽舎を絶好こぅこぅコケコッコー🐔なほどのベストポジションで観ることができるので、気になったコノヤローは詳細は下記ページを‥‥要チェックやでぃ!by.彦一

【補足】舞台造り(懸造り)の起源

平安時代に密教が弘法大師(遣唐使)によってもたらされると、原初的神道と習合した山伏たちによる山岳仏教が生み出され、平安中期になると山中に寺が建てられるようになる。

しかしながら、山の尾根や斜面に伽藍を想定した広い敷地を求めるのは困難を伴うものであり、そこで生み出されたのが、このような「舞台造り」とされる。

ただ、密教伝来当初の山岳信仰の舞台造りでは、上述の日本最古の舞台造りの例とされる、鳥取県の「三仏寺・投入堂」のような小規模な堂宇であったことが推測される。

おそらく創建当初は、現在の清水寺本堂に見られるほどの規模をもつ舞台を建てて、それを維持できるだけの技術力が乏しかった背景がうかがえる。

仮に舞台を建てることができても強風などの天災が起こる都度、幾度も倒壊したのではないかと考えられる。(現在の清水寺の舞台は、鎌倉時代に重源上人によりもたらされた、貫材を用いた技法を駆使して維持できていることに因む)

「貫」が多用されはじめたのは鎌倉時代

このような貫を用いた建築方法は、鎌倉時代に東大寺・南大門を再建した重源上人(ちょうげんしょうにん)によって、大仏様(だいぶつよう)が大陸からもたらされると、日本の建築技術は大きく飛躍します。

重源上人は、限られた期間と木材の量での東大寺再建計画を余儀なくされました。

ここで重源上人が考案した方法が、従来ではまったく見られなかった「横木(貫)を数本の柱に差し込んで固定する技法」です。

この独特な貫の使い方をする建築技法は、後世「大仏様」と呼称され、日本の建築の核とも言うべき大きな進歩と革新を後世に残しました。

後に大仏様は禅宗様と呼ばれて歴史上から姿を消すことになりますが、それでも重源上人が考案した大仏様は現代にもこうして息づいています。

なお、一説では、室町時代の舞台下には貫と併用して、木組みを固定するために「筋交い(すじちがい/バツ字材)」が用いられていたとも云われています。

この様子は室町時代に描かれた「清水寺縁起絵巻」に描かれています。

⬆️1520年(永正17年)に描かれた「清水寺縁起絵巻」※舞台下の筋交いに注目!

 

↓筋交い(バツ字材)

画像引用先:https://ja.wikipedia.org

舞台の大きさ(面積や柱の数・ヒノキ板の使用枚数)

  • 舞台の面積:約190㎡(1辺・約19m)

舞台床に敷き詰められたヒノキ板は約410枚。畳の枚数に換算すると100畳(約190平方メートル)に相当する広さを誇る。

舞台の柱の数・素材・広さなど

  • 6本柱・懸造り(かけづくり)
  • 柱の数:約78本(舞台)全体172本
  • 柱の長さ:約12m
  • 柱の直径:約80cmから2メートル
  • 柱の形:平面十六角形
  • 材質(舞台):ヒノキ(約410枚)
  • 材質(柱):ケヤキ(樹齢約400年)
清水寺本堂を正面から見た図

清水寺本堂を西側(拝観受付側)から見た図

清水寺本堂を東側(拝観受付側)から見た図


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清水寺の舞台の造られた理由と舞台の役割とは?

清水寺の舞台が造られた理由【その1】

清水寺の本堂は山の斜面を切り崩して建立されました。しかし、その作業は当時では、相当な労力と時間のかかる作業だったと云われます。

月日は流れ、江戸時代に差し掛かると、やがて本堂を大きくする話が持ち上がります。

しかし、ここで考え出されたのが、「わざわざ山を削らなくても舞台を付ければ、労力も時間も大幅に節減できる」・・

というアイディアでした。

このような経緯で、現在の清水寺の舞台が造られたと云われております。

清水寺の舞台が造られた理由【その2】

2つ目の理由が、清水寺の建立されている地が、古来、神聖な場所として景観が保たれてきた、ということです。

清水寺の建立されている山(音羽山)には神々が住んでおり、簡単に削ることが叶わなかったのではないかと云われているのです。

神々がお怒りになれば大変な事態になりかねません。

そのため、山を削ることができない分、人工の土台(舞台)を設けるに至ったということです。

清水寺の舞台が造られた理由【その3】

3つ目の理由は、参拝する人口が増加したためです。

清水寺が有名になったきっかけは、上述したように805年(延暦24年)に天皇の御願寺になったことでした。

以降、時代を経る過程で名前が知れ渡り、日本の人口の増加と共に、清水寺を詣でる人も増えてきました。

そこで、舞台を造る話が持ち上がってくることとなります。

参拝する人口が増加すると本堂は満員状態となり、必然的に参拝するために行列ができます。

この順番待ちの行列は現在の仁王門あたりまで続き、このような状況が連日、繰り返されていたことが想像できます。

この状況を打開するために、一時は本堂上に位置する鎮守社「地主神社」の立ち退きも考えられましたが、上述したように山の神が鎮まる地主神社を立ち退かせることなどできず、最後の打開策として打ち出されたのが「舞台」を設ける方法というわけです。

【補足その2】平成の大修理の際、ひっそりと舞台で行われた事

すでにご存知の方がほとんどだと思われますが、清水寺は現在、平成の大修理に入っています。

その大修理の際、あまり知られていませんが、実は舞台の足下では次のようなことが行われています。

平成23年

 舞台下の発掘調査

平成25年

 舞台下の束柱(つかばしら)の根継ぎ(老朽化した根元部分を切り取り、新しい用材を据えて継ぎ足す)

 舞台下の斜面の崩落防止(くずれ落ち防止)のための鋼管杭(こうかんくい/舞台下の斜面に打ち込んむ鋼製の杭)の埋め込み 

平成25年

 舞台下の斜面部分の土間たたき(三和土補修/石炭を水で練ったセメントのような物体を塗る)

令和2年※予定

 舞台部分全体を通しての破損箇所の補修・修理

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