京都・清水寺「釈迦堂」【重要文化財】
創建年
- 不明
再建年
- 1631年(寛永8年)
- 1975年(昭和50年)
建築様式(造り)
- 寄棟造
- 背面一間通り庇付
- 一重
屋根の造り
桟瓦葺→ 平成の大改修にて檜皮葺(ヒノキ)へ葺き替え
大きさ
- 桁行三間半(横幅:約9m)
- 梁間三間(奥行き:約10m)
- 棟高:約9.3メートル
重要文化財指定年月日
- 1966年(昭和41年)6月11日
御本尊
- 釈迦如来像
- 脇侍:普賢菩薩像
- 脇侍:文殊菩薩像
発願者(寄進者)
- 東福門院(発願者)※徳川家光の妹
- 徳川家光(寄進者)
清水寺・釈迦堂の読み方
釈迦堂は「しゃかどう」と読みます。
「釈迦堂」の名前の由来
単純に、御本尊に「釈迦如来像」を祭祀していることから釈迦堂と呼ばれる。
清水寺・釈迦堂の歴史
清水寺の境内は室町期の応仁の乱や1629年(寛永6年)の大火事で全焼しており、それ以前の遺構もほとんど燃え尽きています。
釈迦堂もまさにその内に含まれており、現在見ることのできる堂舎は1631年(寛永8年)の再建による姿です。
1972年(昭和47年)7月に集中豪雨で裏山の崖が崩落し、釈迦堂が建つ位置はまさに崖下であったことから、崩落の土砂に巻き込まれて倒壊。
その約3年後の1975年(昭和50年)に流された用材や埋没した材をかき集めて、1631年(寛永8年)の当時のままの姿で復元・再建されている。
この再建では、江戸時代より瓦葺きであった屋根が、創建当初の茅葺き屋根(かやぶき)に葺き替えられた。
平成時代
この釈迦堂は、数十年に一度の規模とも云われる平成の大改修にて屋根の葺き替えなど大掛かりな工事が実施されてい‥‥‥申す。クポっ …ん?これは‥FFか?
工事期間
2018年(平成30年)以降(予定)
工事内容:「屋根葺替・部分修理」
- 屋根を桟瓦葺(さんがわら)から檜皮葺に葺き替え
- 塗装が剥げ落ちた箇所の塗り直し(彩色の補修)
この平成の大改修は総工期11年、総工費約40億円を要する一大プロジェクトだった。
釈迦堂周辺の見どころ
釈迦堂隣の地蔵堂(地蔵尊)
釈迦堂の隣には覆屋風の質素な白木造り且つ、切妻造りの屋根が乗った地蔵菩薩像が奉斎される地蔵尊が建つ。
この地蔵尊は古来、西向きに建つことから、「西向き地蔵尊」とも呼ばれ、1885年(明治18年)の再建と伝わる。
昭和47年にこの地蔵尊へも土砂が流れ落ちて倒壊したことから、1975年(昭和50年)に再建されてい‥‥‥申す。パキェャヘっ
内部には女性の身長くらいの地蔵菩薩立像が奉安されてい申すが、石造りであったことが幸いしたのか、大事には至らずに済み、現在も堂内に奉安される。
写真を見れば分かるように現在は間知石(けんちいし)が、擁壁(ようへき)として設けられ、二度と土砂崩れは起こらないように管理されてい‥‥‥申す。連発はさすがにねぇ…。オホ
清水寺・釈迦堂の建築様式(造り)
寄棟造
屋根上に見える棟木は屋根の軒の出と比べると圧倒的に屋根の中央に寄っていて、四辺へ向けて屋根が垂れ下がっていることから、これはこれは寄せ胸・・あ、イヤイヤイヤ・・「寄棟造り」!!と呼称される造りになる。
鬼瓦の刻銘
屋根上の図太い横木となる胸毛(むなげ)の両側の・・あぁっ、..棟木!!の両端に据えられているが、鬼瓦には釈迦如来の梵字(梵字/「種字しゅじ」という)である「バク」を記し、その側面に「寛永八年八月(寛永8年8月)」と刻字された刻銘が残る。
これは釈迦堂が江戸時代に存在したことを意味するとともに江戸時代を通して、釈迦如来が御本尊であったことを示す証拠の1つともなる。
まばら垂木
釈迦堂の軒周りの意匠としては、社寺建築でよく見られる繁垂木(しげたるき)が用いられず、簡素な、まばらに配された、まばら垂木が見える。
蔀戸
田村堂とは打って変わり、縁を周囲に回さず、腰長押と腰貫の意匠を用い、蔀戸は框をハメ込んで下半分は立て込み、上半分を吊り上げる仕様の半蔀(はじとみ)になっている。
舟肘木
この釈迦堂のお堂は組物が用いられず、中備もなし。壁面に見える主たる構造材としては柱上の舟肘木が唯一。
角柱
外観に見える柱はすべて角柱。
釈迦堂は質素かつ簡素な意匠
しかし、例えばお隣の阿弥陀堂や田村堂などと比較すると、尊像を奉安する堂にしては質素かつ簡素さが際立つ。
色使いもなく白木仕立てのままで、以前は瓦葺き(桟瓦葺)だったというからさらに驚き。
釈迦堂の内部
外陣と竿縁天井
堂内の天井は板張りの竿縁天井が用いられ、竿縁には猿頬面(竿縁の先を少し尖らせる)を用いて天井全体を広く見せる工夫がみえる。
これを外陣としている。
内陣と遊飛天女画
内陣の天井は板張りの鏡天井を用い、天女が天空を飛び交う「遊飛天女画」が描くことで荘厳華麗な仏間を創造してい‥‥‥申す。ゴギャェホっ
内陣の須弥壇上の釈迦三尊像
外陣の内側四隅に丹塗りの円柱の来迎柱(らいごうばしら)を立て、奥の柱間に黒漆塗りに格狭間(こうざま/平易にレリーフのこと)の意匠をあしらった飾り金具付きの須弥壇が置かれている。
須弥壇の上には釈迦三尊像が奉安される。
このように釈迦堂は外部と内部とで意匠が打って変わり、内部に荘厳かつ美麗な空間を創出してい‥‥‥申す。プピャっ
清水寺・釈迦堂の御本尊「釈迦如来像」
画像引用先:清水寺
- 造立年:不明(推定:安土桃山時代)
- 像高:89㎝
- 材質:ヒノキ材
- 造立方法:寄木造り、表面に漆箔(漆を塗った上に金箔押し)、玉眼
釈迦堂の御本尊「釈迦如来像」は安土桃山時代の作と伝わってい申すが、平安時代の特徴を色濃く残すことから、安土桃山時代に再造立された仏像である可能性が高いとみられていっ、い‥‥申す。ペピャォヘっ
プっくらとしたお顔に、肉付きにあるフっくらとした撫で肩、そして胸部、その上を取り巻く繊細かつ流麗な条帛(じょうはく)や納衣(のうえ)などの衣文は奈良時代に無ぃ、鎌倉期へ引き継がれるトリガとしての平安期の特徴がよく出ている。
釈迦如来坐像の脇侍・普賢菩薩像と文殊菩薩像
- 造立年:不明(推定:安土桃山時代)
- 像高:32.5㎝
- 材質:ヒノキ材、玉眼
- 造立方法:寄木造り、表面に彩色
須弥壇には中尊に釈迦如来像のほか、その右の脇侍として文殊菩薩像、左の脇侍として普賢菩薩像が奉斎される。
この釈迦堂の脇侍の普賢菩薩と文殊菩薩は蓮華座に座し、白像と獅子の像が蓮華座と両像を持ち上げている構図で造立されているが、この両脇侍は白像と獅子が、キャナリ(訳:かなり)体型が小さいので蓮華座の下で踏みツブされた恰好になっており、つまりはカトちゃんぺっ‥‥ちゃんこにされかかってい‥‥‥申す。パピュっ
まるで「は・・よ・・降りんかぃ!!!コラぁ!!」‥‥などといった心の声が聞こえてくるような像に思える。(↑画像参照)
ところで・・釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩とは?
文殊菩薩とは?
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)は中央の釈迦如来(お釈迦様)の弟子であり、果てしなき知恵を持つ菩薩様。「知恵の文殊」「文殊の知恵」などの言葉で有名。
「三人寄れば”文殊”の知恵」のコトワザは、まさにこの菩薩様に由来した言葉。
普賢菩薩とは?
普賢菩薩(ふげんぼさつ)は法華経においては6つの牙を持つ象さんの背に乗り、信ずる者には数多の菩薩を率いて数多の信者に利益を振りまくと云われる。
法華経は「女人成仏(にょにんじょうぶつ)=男尊女卑の世の中において女性を敬った教え」を説いており、それが派生して普賢菩薩も数多の女性から尊崇が寄せられた菩薩様。
「釈尊(釈迦如来)」に対して、向かって左側に「行の普賢」とも云われる「普賢菩薩」、そして右側に「知恵の文殊」の「文殊菩薩」を配して「釈迦三尊」と成す。
この配置は仏教における最高の理想世界を意味するとされる。
清水寺・釈迦堂の場所(地図)
釈迦堂は本堂奥にある売店(御朱印授与所)の東隣、阿弥陀堂の前方に位置する。
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