産寧坂(三年坂)は阿闍梨さんの通り道!名物の阿闍梨餅に隠された秘話を‥‥‥聞く必要があるの?

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古来、三年坂は叡山・天台宗の修法の1つにある「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を厳修する際の複数人の僧侶たちが通行する通りでもある。

僧侶たちは高台寺を拝したのち、清水寺へ至るためにこの三年坂を通る。

僧侶たちは、いつ何時現れるか分からないことや、僧侶たちが修行を通して最高僧位とも言える「大阿闍梨(だいあじゃり)」となるための口説くを積んで‥‥おっと、功徳!!‥を積んでいることから、いつしか僧侶たちの姿を見た人々は手を合わせて祈りを捧げるようになった。

大阿闍梨とは、人間離れした荒業を満行した者のみが名乗れることから、生身の不動明王とも称えられ、尊崇の念が寄せられる。

千日回峰行とは?

千日回峰行とは、およそ1000日間、1日かけて野山・社寺を練り歩き、これを7年かけて行う天台密教の修法の1つ。

平安時代の僧侶・相応が創始し、以来、2017年までの統計によれば、わずか14人しか満行者がいない。

修行内容

1年目から5年目まで

1年目から5年目までは京都各地の社寺を巡礼しながら1日30㎞歩き、これを計700日繰り返す。

阿闍梨たちが通るとされるルート


堂入

700日間の修行を終えた後、9日間不眠不休、絶飲絶食の状態で約10万回にも及ぶ真言の読誦を行う。最も過酷とされ修行中に昇天する者も多いとされる。

普通に1日30㎞も歩けば足が棒になって3日連続で歩けば、それだけで疲れはピークに達するが、疲れが蓄積した状態で9日間不眠不休、絶飲絶食で過ごし、その上お経までも唱え続けるという超・荒業。

6年目

これでまだ終わりでないのが、ドSな佐田恭也バリなところ。

6年目は最初の年(1年目)から5年間かけて行った修行を再度、行っちまぅのだが、さらに赤山禅院(せきざんぜんいん)というお寺への往復が巡礼ルートに追加される。

この赤山禅院というのが、比叡山の麓に位置することから、当該巡礼ルートのエリアとは、かけ離れていることになり、この1ヶ寺のみを周るだけでも相当、距離が増す。

まさに佐田恭也 参上警報発令状態。どゆ意味や? ウサミミ仮面は助けに来ないの?オホほっ

7年目

7年目の最初の100日間は京都市街へ移動して巡礼するが、歩きやすいとは言え、1日84kmにも及ぶ京都の大回りコースとなる。

このときに祇園界隈やこの三年坂、そして清水寺へも訪れる。

つまり、三年坂に訪れる僧侶たちは、もぅすでに大阿闍梨にほど近ぃ、高徳を積んだ僧侶たちなので、仏に近しき存在の彼等に願掛けしたり、何より彼等の修行の無事の達成を祈念しながら、静かに手を合わす。

古より受け継がれる三年坂の情緒あふれる光景ではなぃだろぅか。キャキャキャキャキャ‥カキゃっ!

ちなみに後半100日間は叡山・山中30kmの練行に就く。

この修行が最高峰の荒業とまで云われるのが、修行を途中で中断することができず、参加する僧侶たちは皆、短剣を懐に入れておくことが義務付けられてい‥‥‥申す。ヒデブっ …なぜこのタイミングで北斗が出る?

短剣を懐に忍ばせておく理由‥‥‥分・か・る・わ・よ・ね? YOUなら!! …最初マイメロママで、なぜ急にジャニー喜多川モード?

ほかに、三途の川の渡り賃とされる「六文銭」と、自らの遺骸の埋葬費10万円も懐へ常時携行。




阿闍梨餅とは?

京都市の和菓子店・満月の主力商品。大正初頭から2代目店主が販売をはじめ、今や京菓子の一翼を担うほど有名になっている。

使用する材料

餅粉に卵をはじめとした様々な素材を練り込んで作った生地に、丹波大納言小豆の粒餡を包んで焼き上げた和菓子。生の粒餡がブチ込まれていることから半生菓子となる。

「阿闍梨餅」の名前の由来

阿闍梨餅の阿闍梨とは、上述した「阿闍梨」のこと。

阿闍梨たちは千日回峰修業をはじめとした厳しい修業の最中、餅を食べることで当面の飢えをしのいだとされ、この故事に由来して作られた餅のこと。

阿闍梨にちなんだ有難い縁起物として売られはじめたのが、「阿闍梨餅」になる。

阿闍梨餅の特徴

この餅は形状に特徴があり、阿闍梨たちが巡礼する際にカブっていた蓮華笠という帽子をイメージして作られてい‥‥‥申す。ジャリっ (阿闍梨だけに)

なお、現在では通販でもこの阿闍梨餅を購入できるので、気になったYOUは、お1ついかが? 最近ジャニ喜多川マイブームらっしぅぃ〜

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